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苦痛なしの喜び

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年11月23日(月)00時25分10秒 125-14-98-228.rev.home.ne.jp
編集済
    苦痛なしの喜びとは苦痛を身体レベル(知覚正面、肉体、心体、知性体)で経験していながら、同時に魂のレベルで客観的に観察できている状態です。

 今までの流れの繰り返しになりますが

 『観察の対象(身体)と意識が一体化している場合は苦しみをリアルに経験します。しかし意識を観察の対象から引き離している場合はリアリティが薄れます。』

 『問題解決(観察の対象を機能的に働かすこと)には意識を問題から引き離して、一つ上の次元から観察することが有効です。』


 ここからは“るし”さんの名前(役割・機能)と関係してきますが、多くの人々の苦しみを共有しかつ自由に生きるための知恵を見出すことが可能になるはずです。


 絶対的領域から神やマスターが「人生なんて幻想だから“苦しみ”なんてありはしない。」なんて言っても、相対的な領域で実際に苦しみを経験している生命にとっては「俺達の現実を理解していない!」となります。

 上の文章を訂正して

絶対的領域から神やマスターが「人生なんて幻想だから“苦しみや喜び”なんてありはしない。」なんて言っても、相対的な領域で実際に“苦しみや喜び”を経験している生命にとっては「俺達の現実を理解していない!」となります。

ここで神やマスターたちが経験している現実に関してより正確に理解していくことが現実をあるがままに経験するヒントになると思います。


1. 全ては一体である。絶対的領域と相対的な領域は分離して存在しているのではなく、相対的な領域は絶対的な領域の部分として存在しています。


2. 神やマスターも相対的な領域を経験している。相対的な領域に対する執着がなくリアリティが薄いのは事実です。

3.  全体性の中で全てを理解している。例えば知覚正面のお金や土地といった2次元身体を所有という限られた現実(狭い意識視野)で観察しているのではなく全体的な関係性のもとで知覚正面を観察をしています。また心体のイメージ・思考・感情といった4次元身体を肉体という限られた現実(短い時間意識)で観察しているのではなく永遠性のもとで心体を観察しています。
     永遠性の時間認識のもとでは全ての生命が自分自身を開放(自力で救済)し、成功をおさめているのが観察できるので神やマスター達のメッセージは「あなたにも同じことが簡単にできる!」という内容になってしまいます。

4. 機能と役割を理解している。相対的な領域も究極的には絶対的な領域です(全ては一体であるから)。しかし相対的な領域には相対的な領域固有の個性・役割つまりダルマ(本質・法・義務などを意味する梵語)があり、神やマスター達はこの宇宙の機能性を尊重し活用しています。

他にも様々な理解がありますがあげていったらきりがありません。なにせ魂は全知全能なのですから。

真の解放とは全知全能に戻るプロセスそのものです。全てを機能的に理解して現実に適応し永遠に永続します。

逆に言えば機能性を無視して適当にやってしまえば適当な現実を経験しますし、知恵や理解を放棄して無知を深めれば現実は機能不全に陥ります。(神との対話の中で人類が急激な適応に迫られているとの警告がありますが、これはこの本の読者に向けたもの。幻想を幻想として受け取りたい人達には関係がありません。真実を意識的に生きたい存在へのメッセージとして二―ルさんというフィルターを通してもたらされています。)


ここでの対話は

A.意識的に(現実を創造して)生きる。

B他者依存型の文化(幻想)ではなく、(より真実に近い)自己創造型の文化を選択する。

という前提のもとでなされていると思います。


他者依存型の文化では自由を経験できません、なぜなら他者が変化(活動)を起こしてくれなければ自分の現実に変化が起こらない現実を“無意識のうちに創造してしまう”確率が優勢になるからです。

“責任”という事例を出してみます。

デスクワークをしている途中で同僚が自分の机の前を通り、消しゴムをひっかけておとしてしまったとします。
「消しゴム落としたから拾っといて!」
と言ったら、気付かずにそのまま行ってしまいました。

もしここで、同僚が落としたことに固執して同僚が拾うのを待つならば、消しゴムを自由に使うことができないでしょう。

しかし、自分でさっさと拾ってしまえば消しゴムはすぐにつかえます。


別例をあげます。事故や事件に巻き込まれた場合なども同様です。この場合は保険屋さんや警官、弁護士の役割を尊重して彼らに任せるのも大切です。しかし最終的な解決は事故や事件に対する執着から離れてはじめて成しえます。
いつまでも加害者を恨んでいては自由はありません。自分の意識を引き離すという自発的な活動によって心体(感情など)の自由を取り戻すことが可能です。


自己創造型の文化では被害者は存在しません、

『自分の身体(知覚正面・肉体・心体・知性体)の管理は自分でしたほうが自由であることを知っているからです。』


 ですから自己創造型の文化では加害者も当然存在しないことになります。


他者依存型の文化では責任は道徳・宗教の倫理観の影響から重い罪の意識などと結びつき積極的にとられることはありません。

反対に自己創造型の文化では責任は道徳・宗教の倫理観(機能性)の影響から自由や変化の意識と結びつき積極的に喜んでとっていきます。

 あと、るしさんは神との対話シリーズを全て読んでいないみたいですが一応目を通すほうがいいかもしれませんね。
 メッセージの内容はシリーズ全てで抽象度の高いレベルでは変わりません。しかし二―ルさんの意識レベルの変化で具体的なレベルでの内容に変化がみられます。これは神が全ての個性(意識レベル)を受容し受け入れているからです。
しかし読者の中には自分の期待する内容ではないとして離れてしまうケースがよくあります。

愛や感謝といった“抽象度の高い概念”は解釈する側が自分の意識レベルに合わせて自由に解釈でき共感が生まれやすいという事実があります。

しかし宗教的な規律に見られるような“具体的な行動指針”は受け取り手の意識レベルに合わなければ共感は生まれにくい事実があります。また意識レベルというものは一定ではなく変化するのが自然ですから、同じ具体的な行動指針(メッセージ)を続けるのは現実的ではありません。

二―ルさん自身、「行間になぜ半年もかからなければならないんだ!!」と嘆いているように神からのメッセージを特定のやり方で受け取ったりコミュニケーションをしたりするのは困難です。ですから読者が行間の移動に何年かかろうが問題はありません。

逆に成長にこだわらず、特定のコミュニケーションに固執しなければ、神はいつも私達とともにあり対話を続けていることを簡単に認識できます。
 

苦痛なしの喜び

 投稿者:るし  投稿日:2009年11月17日(火)21時08分26秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
   苦痛を少なくし、
 智恵も減らしたのでは、
 目的が損なわれる。
 そんなことをしたら、
 あなたは限りない喜びを体験できなくなる。
 それこそが「わたし」なのに。

 もうちょっと辛抱しなさい。
 あなたは智恵を得ている。
 もう、苦痛なしに喜びを増やしていくことができる。
 それも、非常に良い兆候だ。

 あなたは苦痛なしに愛すること、
 苦痛なしに手放すこと、
 苦痛なしに創造すること、
 苦痛なしに泣くことさえ学んでいる(思い出している)はずだ。
 そう、
 あなたは苦痛なしに苦しむことさえできる。
 この言葉がどういう意味かわかるかな。
 (神との対話 文庫版 p270)



今日はこんなところを開いてしまいました。
これも一筋縄ではいかないところですね。

ぼくは頭がカタイので、苦痛なしに喜びを得ることができるというのを
未だに想像できないでいます。
というか、どう考えても喜びとは苦痛あってのものだ、としか思えない。
これ、ぼくが旧人類だからでしょうか?

出だしの部分がちょっとわかりずらいので、
少し前の神の言葉も載せておきましょう。


 これまでだって、
 退屈なつまらない仕事はひとつもなかった。
 あなたはすべてを愛していた!
 最後の瞬間まで!
 人生はじつに甘美なものだ!
 じつにすてきな体験だ、そうではないか?

 これ以上、どんなすてきな体験があるんだね?
 あなたはすべてを経験させてもらえる。
 涙も、楽しさも、苦痛も、喜びも、昂揚も、激しい憂鬱も、
 勝利も敗北も、引き分けも経験できる。
 これ以上、何がある?
 (神との対話 文庫版 p269)


それこそが「わたし」なのに。
つまり喜びも悲しみもひっくるめて「わたし」なのにということですよね。

ところがですよ、
ところが神はこう言い始める。

 もうちょっと辛抱しなさい。
 あなたは智恵を得ている。
 もう、苦痛なしに喜びを増やしていくことができる。


まるっきり?です。
「わたし」は喜びも悲しみも、なはずなのに、
智恵を得た暁には悲しみなしに喜びが得られると?
それって、どーゆーこと?
この神様、一体何が言いたいんだろう。
すべてを経験できる、これほど素晴らしいことはないと言いながら、
そのすぐ後で、これからは苦痛なしに苦しむことが可能になるぞ、とは。


で、しょうがないので、こう考えておきます。
全ての経験が可能である、ということは、
苦しんで苦しむことも
苦しまずに苦しむことも
どちらも可能だということ。
で、これまではさんざん苦しんで苦しんできたけれど、
智恵が進めば苦しまずに苦しむという体験も可能になるぞ、と。
おまえらは成長したんだゾ、と。

どうですか?
ぼく自身はまだ苦しむことに甘美な喜びを見いだしているので、
(なんてのはウソで、苦しいのはとうの昔から全くもって御免です!)
この、神の発言には決して諸手を挙げて「そりゃすばらしい!」と
賞賛する気にはなれないのですが・・・

世の中そんなふうになっていくんでしょうかね。
 

堅物なもんで

 投稿者:るし  投稿日:2009年11月15日(日)12時38分41秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  今思うと、
良江さんの書き込みは非常に自分の内面を正直に出していて、
いつも表面的な発言とは裏腹な心理状態を発信し続けていたように思います。
ぼくはそれに対してあれこれ提案してきたつもりだったのですが、
ぼく自身が良江さんと同じような心理的ステージにいたものだから、
どうやら解決の糸口はこっちのほうだと思っても、
なかなかそれをうまく表現できなかったと思います。

辛いことや苦しいことに対しては、
しかたがないと諦めるのではなくて、
積極的に抱きしめ愛していく必要がありますね。
あるがままでいいというのは、
希望を失うような失意の中に見いだすものじゃないことは、
みなさんも理解していらっしゃると思いますが、
どうしても自分の状況に対して譲歩することが、
全てを受け入れること、という方向に行ってしまいますよね。

でも、あるがままでいい、は、
そう思い至る時には、
とっても希望に満ちた輝かしい思いになったと思うんです。
自分のダメさ、弱さ、愚かしさが、
可笑しくて泣き笑いしていると、
あ、

って、なる、そんな感じ。

まわりが輝いて見える時はそんな時ですよね。


p.s.
るし、はもちろんルシファのるしです。
ぼくはそんなことはないと思っていましたが、
でも自分のハンドルネームをルシ太にしようとしたときには、
やはり、なんていうか闇に飛び込むような緊張感がありました。
みなさんも自分の中の闇に飛び込んでみて下さい。
それは自己限定という自分の拡張を阻むブロックでしかないですよ。
どんな闇の底も神の愛の中でない場所なんてないですよ。
ホントですよー。
 

付け足すならユーモアかな

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年11月15日(日)08時33分40秒 125-14-98-228.rev.home.ne.jp
  るしさん

>良太は執拗に「無意味である世界で苦しむのは御免だ」と言い続けているんですが、
最近そういう心理的パッケージをそのまま良しとして受け入れたような

ここがポイントだとすると苦しみを対象として客観的に受け入れ(受容)、感覚的に苦しみよりも大きな自分を発見・体験しているために本来の自分により近い人生を体験しているのではないでしょうか?

苦しみ(観察の対象)に執着しているときは意識が苦しみと一体化しているので、相対的に苦しみよりも小さな自分を経験することになります。つまり苦しみの一部として自分がある感覚です。

一方で「無意味である世界で苦しむのは御免だ」ということを受け入れてしまった状態は苦しみが自己の一部となっているので、相対的に苦しみよりも大きな自分を経験することになります。

『愛(majuさん的にI)が全てであるならば苦しみもその一部として存在しても当然です。』

でも(苦しみよりも)小さな自分を経験しているときには当然気付けないですよね。これは意識の在り方からみて自然な事象であり私も当然経験しています。

ではこれを避ける在り方はあるのか?というとありますが相対的な領域特有のパラドックスを経験することになります。

苦しみを避けようというのは根っこの部分に苦しみに耐えられない弱いセルフイメージを創造してしまうことになります。

逆に苦しみを積極的に受け入れていこうとする姿勢の根っこは苦しみに負けない強い自分というセルフイメージを創造します。

相対的な領域での人生はこのセルフイメージ(偽自我)を反映するカタチで体験をすることになります。ですから苦しみを避ける在り方とは苦しみをあるがまま受け入れている苦しみよりも大きな自分でいることです。

で、「そうか苦しみを避けるには苦しみよりも大きな自分でいればいいのか!」と気付くことになりますが、相対的な現実では上手くいく人と上手くいかない人がでてきます。

『苦しみを避ける“目的”では苦しみよりも大きな自分を体験できません。しかし、純粋に自分らしさを表現するプロセスで“何の目的も無し”で“より大きな自分”を表現すれば“不必要な”苦しみはなくなります。』


神との対話の中で

「喜びと感謝と愛と受容と祝福は同じもの(意識状態)」として記述されています。

今の良太さんの体験では『愛と受容と自由な感覚は同じ体験(意識状態)』として認識できるのではないでしょうか?

以前
>僕だけが体験できる僕だけの現実なんすから。

と表現したときの自分の状態を思い出してみてください。

その魂のポジションをキープした状態で今経験している苦しみに対する自由な感覚と愛と受容の意識状態を意識的に観察してみてください。

そして、その意識状態にそうカタチで感謝と祝福という言葉の定義をし直してみてください。(ワンダフルシェアルームのほうに5月31日に書き込んだ定義のプロセスを参考にしてみてください。)


神との対話のなかで、感情や思考そして経験というコミュニケーションが上手くいかなかったときに言葉というコミュニケーション手段を神は使うと言っています。

言葉は記号に過ぎませんからコミュニケーション手段としては限界が存在します。

感謝と祝福に関して良太さんなりの定義をした上で、良江さんの定義する感謝や愛について話し合うと良太さんの宇宙・世界がより拡大すると思いますよ。二人は宇宙で対照的な立場をとることがよくあるみたいなので両者の観察場の相違を上手く活用すると神との対話読者全体の大きな気付き(悟り)を加速させる原因になります。詳しくは二人がこの掲示板で対話を再開したときに話します。


P.S良太さん“るし”って堕天使ルシファー(地蔵菩薩)から来てるのでは?ルシファーは高いところから人々を裁くのは卑怯だと感じて地上の苦しみをともに分かち合おうとして天界から降りてきたんだけど別に神と喧嘩別れしたわけではないんですよ。(この次元の人達は宗教の影響で誤解をしていますが。)むしろ仏教の地蔵菩薩のような存在がルシファーです。地蔵菩薩は地獄の衆生の苦しみを分かち合いながら仏道を究めようとして、すすんで地獄に入り衆生救済に取り組む存在です。
これらは宗教的な信念に拘束された物語なので相対的な領域から自由になるためには物語の意味合いを変える必要があります。
いずれこのことにもここの掲示板で皆ですすめていくことになると思います。
 

そしたら〜

 投稿者:maju  投稿日:2009年11月12日(木)08時35分3秒 wb31proxy03.ezweb.ne.jp
  いつでも純粋なアンテナになって、神の表現を代行いえ体験できるという事ですね!
すると〜
いつも新鮮な感動を味わえる今を体験し続けることができる…愛でいられる…それが神の目的天使
 

だから〜

 投稿者:maju  投稿日:2009年11月12日(木)08時13分5秒 wb31proxy02.ezweb.ne.jp
  動物のように、
猫のように生きることだ
と言われる所以ですね´з`

ホ・オポノポノは沸き上がる記憶を消して、ゼロの状態にすることが目的だそうです。
瞑想や祈りやおだいもくを唱えるとか感謝すると言う事も同じなのではないでしょうか。
記憶…これが問題なの??
リセットして今に戻るNo.1!とか!
 

学ぶものは何もない

 投稿者:るし  投稿日:2009年11月11日(水)22時31分51秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  今回はこれ。

 この世で、あなたは何も学んでいない。
 学ぶものは何もない。
 あなたはただ、思い出しているだけだ。
 つまり、わたしを思い出しているのだ。

 何を克服しようとしているか?
 克服しようとすること自体を克服しようとしているのだ。
 (神との対話 文庫版 p347)


これはニールのこの質問に答えたものでした。

 わたしがこの世で学ぶべき因果(カルマ)の教訓は何なのでしょうか?
 わたしは、何を克服しようとしているのでしょうか?

ぼくたちは自由に体験することができるらしい。
その体験する内容についてはどんな制約もないということらしいです。
どれがより重要な体験だ、とか、どれがより先に体験すべきだとか、
どれが正しい体験で、どれが正しくない体験だとか、
そういった基準は一切ない。

これはぼくたちが今この世界で遭遇している出来事、
その出来事の当事者のそれぞれの体験のどれにも当てはまることで、
例外はないわけです。
例外は一切ない。

すべての体験はしかも、
何かを学ぶためでも、何かを克服するためのものでもないと神は言っています。
ではなんのための体験なんでしょう。

神が言っているのはこういうことですよね。

学ぶ必要がないことを学ぶための体験だということ。
克服する必要がないことに気付くための体験だということ。

そうか、
ただ自分でいること。
それがぼくたちの最高の姿なんだ。
ただ自分らしく在ること。
それが最も神近くあることなんだ。
 

 

 投稿者:   投稿日:2009年11月11日(水)17時23分53秒 211-127-156-253.customer.soloot.jp
  と、今回も板の流れを読まずにカキコ。

今、おいらがやっていることは、関連付け外しだ。
前回の山の時と同じだが、今回は精神世界社会の(この思考の山も要らないな。
最近変えてるのが、体をアンテナ代わりにする事。
役にも立つが、今回バージョンおいらに不適格だ(リアルな迷子の時に役立つ。
体は単純に、健康であればイイだけのことなのだ。
これによって、体は徐々に健康を取り戻している(たいした症状で無いが。
元々やっていたが、外からの知識により変わった(これもおいらが選択したが。
ツーか、やっぱ調子がイイ時というのは、単純だ。
出来事に関しても、霊的な意味付けを外している。
んなこと考えても、いろんな味が出来るだけだし。
本来霊的なものは、やっぱわずかなもんだろうな(縮めば広がる。

前回パワーゲームと書いたが、おいらはとっくにやりたくなかったし、
ただ小さな、意思に拘ってただけなんだよな。物理的考えというのは
精神世界的なものよりある意味単純だし、目的的に使えば良かったよ。

っていうか昨夜、おいらの家にフクロウが舞い降り、ほーほー鳴いた。
家の前の川を見ると、シラサギがたくさん居て、カモもいっぱい居た。
そしてカワセミがスーと通り過ぎ、空を見上げれば鵜がゆったり飛ぶ。
魚達はぴちぴち跳ねている。ちょっと歩けば、木々や植物が雨に濡れ、
しっとり色っぽい。まっ、これがおいらにとって、喜びだったりだな。

      まっ、単なる自分を再確認ということで
 

All you need is CONSCIOUSNESS.

 投稿者:良太  投稿日:2009年11月11日(水)01時43分13秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  ぼくたちは何かを経験しにこの世界へやってきた。
でも、いい?
体験は意識的にしなければただのクズだ。
喜びも、愛も、怒りも、苦悩も、嘆きも。
意識していなければ何の役にも立たない。
何の意味もないんだ。
だから、

ぼくたちがまず心掛けなければならないことは、
意識すること。
そして最後まで心掛けなければならないこと、
意識すること。

憎しむことは辛い体験だ。
愛しあうことは望むべき最善の体験だ。
でも、そこに意識がなければ、
それらは何の役にも立たない。
そこに立ち会っていなければ、
どんな感情も何の意味も持ち得ない。

ぼくらは愛でいたいと望む。
ならば、なによりも先に、目覚めていなくちゃね。
愛であるより先に、まず目覚めていなくちゃね。
 

愛…I…ハート

 投稿者:maju  投稿日:2009年11月10日(火)11時14分18秒 wb31proxy02.ezweb.ne.jp
  意識することが全てですよね〜!
感じる事が愛ですよね!
自然現象を意識して感じる様にすると、大きな自分に戻れるのかもしれないです。
子供の頃は、何も意識せずにただ感じるだけの事が多かった様ですが、たまに状況判断をしていたのを思い出します。
半世紀程も昔の幼稚園の年長組の時の話。
台風が来てるのに傘をさして登園途中、目をあげると、すぐ前にある山(332m)の中腹に、仮設の園舎が見えて、工事中の通常の園舎より先へ登らないと行けなかったからか、友達と相談してるのです。
私:「台風来てるし、行っても休む子が多いよね、やめようか?」
友人:「そうね、やめようか〜、帰ろう!」
と、今と全く変わらない思考と会話で判断していたのが、昨日の事の様でおかしくて…。
肉体は成長して止まって衰えていくのに、意識する心はまるでず〜っと変わらないままみたい。
神との対話の中で、身体だってずっと使えるように作っていると神が言っていましたね!
シャスタ山の聖人やチベットの僧が、考えられないほどの長寿とも聞きますが…物質世界の事だかどうだか。

思考も左右の脳で違いがあるようですが、意識するところは別のもののように感じます。
アルツハイマーや痴呆症だと脳が縮んだり、組織が壊れて思考に支障があるのだけれど、そんな時の意識はどうなってるのでしょうか。
幽体離脱の場合は意識だけになる様だけど、意識が思考しているから、脳がなくても思考できるのかしら?
ん〜?
意識したり思考しているのは魂で、魂の見えない脳というのは大きな自分である神なのだわ〜!
そぉ?
昔、人工の脳が世界を支配するようなアニメがありましたね!?
 

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