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時間と空間の中に自分が置かれているという認識の中では、
どうしても自分の所在が不明になりがちです。
というのも、今この瞬間の思いや行動の決定権を
過去からの教訓だとか未来への投資だとかいったようなものに与えてしまうからです。
そこで、完全なる自己との邂逅のためには、
小賢しい自己の策略から逃れていなければならない、というわけです。
「神と出会う」ためにも、今この瞬間に意識をしっかり止めておく必要があると。
なるほど、確かに昨日のことを思い出すことは
今この瞬間の知覚とは違い、
ひとつ次元の高い経験なのかもしれないです。
それにしてもですよ、過去を思い出すというその体験、その行為は
今この瞬間の価値を高めるのに役立つばかりとは言えないですよね。
むしろ、自分の可能性を縛り付ける要因であることの方が多そうだと思うわけです。
ぼくは「自己の最高バージョン」とは、
僅かばかりの人生経験で築き上げられるもののことではないと思います。
人生経験が役立つのは、むしろその経験が「自己の最高バージョン」に照らして、
ほとんど無意味であるということを了解するためだけ、という気がします。
自分という存在をどう認識するか、というゲームは楽しいものかもしれません。
しかし究極は他に与えた権限をすべて自己のものとして取り戻すことだろうと思います。
「自己の最高バージョン」は全知全能の神であり、宇宙そのものであり、
存在それ自体であり、光と闇であり、ただひとつのものであり、と、
なんともまあ豪華で盛り沢山なわけですけれども、
そこへの旅はなにしろどこへもうろつかない、
今ここへの意識の集中のみだろうと。
今この瞬間のぼくたちは、
神そのものだし、愛そのものだということから意識をそらさないこと。
今の自分がどんな状況に置かれていたとしても、
今ぼくたちは神そのもの、愛そのもの。
自我の経験が役立つとしたら、
この真実に感謝できること、でしょうか。
自分をちっぽけだと思ってきた、という経験が、
逆に自分の無限に対して、畏れ敬う気持を生み出すことができるのでしょうから。
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