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神との対話

 投稿者:良江  投稿日:2010年 2月 8日(月)20時31分18秒 eatkyo504137.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
   ホ・オポノポノに関しては、今朝、「ずっと声援を送り続けることが大切」
とメッセージがありました。
 考えてみれば一回ぐらいごめんなさい、愛しています、ありがとうと言ってみただけで
相手が変わるほど簡単ではないでしょう。^^;
  今回の子との関わりのような「長い目で見守る」という経験ひとつひとつが
これから私が一段一段変わっていける糧になるようです。

  その子が私の期待通りに早く良くならなくてもその子はその子。
無理に変えようとせず、結果に関わらず愛情を持ち続ければ必ず通じるものが
あるのでしょう。。。

 新聞や友達からの携帯メールなど何気なく目にした活字を通して
自分に必要なメッセージかなあと感じる時があるのですが、神との対話かもしれないと
感じています。


 アセンションマスターさん、お答えありがとうございました。
 

るしさんへ

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2010年 2月 8日(月)02時45分47秒 61-21-194-238.rev.home.ne.jp
  >正直に言うと今のるしの状況は、

>「全ては一緒だから何やっても同じじゃん。」という怠惰な偽自我寄りの解釈と結びつき、創造性が極端に落ち

た状態だと思う。
夜明け前の暗さに復讐するほどの覚悟もなく、ただ居心地の良い暗い洞穴に潜り込もうとしているかんじ



自己を客体化して観察できているのだからそれ(観察の対象)ではない観察者としての自分に気付かれているのでは?

とりあえず苦しみに対する執着はなく、苦しみを客体化しているのだから夜は明けて朝日を拝む時ではないでしょうか。

もちろん夜が明けても曇る日もあるので洞穴で自らが明かり(ユーモア・明晰さなど)となって洞穴の中を暖めることもありだと思いますよ。

私のように夜明け前の暗さ(神や人生の事象)に復讐するのはアホがすることだから普通は避けて当然ですよ。


あと、るしさん、責任を重荷として捉える(認識する)のは疲れませんか?

責任を変化を起こす自己の創造的な力であると認識してみてはどうでしょうか。そうすると軽やかに責任を果たして、本来の創造性を発揮できますよ。
 

良江さんへ

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2010年 2月 8日(月)02時43分13秒 61-21-194-238.rev.home.ne.jp
  >アセンションマスターさんが破壊しようとして不可能だった「真の自己」とは
「魂」と言われているものですか?


A・そうですよ。自己とは観察者なので直接観察することが不可能です。観察の対象となるのは全て他者です。

例えば過去の自分というものも観察の対象になるので厳密には他者です。

だから「現在の自分が不幸なのは過去の自分が過ちを犯したからだ。」という考えは他者に責任を負わせるようなもので現状を変える自由を放棄したことになってしまいます。

繰り返しになってしまいますが、

『責任とは現状を自由に変えていく便利なツールです。“今”、“ここにいる”、“自分(観察者・創造者)”だけが自由意志の表現として活用できる道具です。』



>この掲示板を今後発展させるには、アセンションマスターさんの図式を応用するなら
私たちは具体的にどのような視点でいたら良いのでしょう?
私は平和に役立つ掲示板でありたいと思っています。一人ひとりの心の平安が
 世界平和に結びつくと思うのでそのお手伝いが出来ればいいなあと思います。


A・まず掲示板の役割・機能性について確認しておく必要があると思います。

自己創造型では自由意志→自己(掲示板)の定義→関係性の創造→役割(機能性)→自己表現・義務となります。

他者依存型では(外部から課せられた)義務→役割→関係性→自己(掲示板)の定義→自由意志の欠如となります。

一応ここでは自己創造型の方向性で話をすすめます。


例えば私の場合ここの掲示板を神との対話の続きとして捉え(認識・定義し)ています。

ですから私にとってこの掲示板の役割・機能は神(みんな)とのコミュニケーションを展開・表現する場として機能しています。

そしてみなさん(神)が語るときは私は聞き手として関係性を創造し、皆さんが(神)が聞き手として存在しているときは私は語り手としての関係性を意識的に創造しています。

このとき私は聞き手あるいは語り手としての義務を果たすことで自己を表現して喜びを意識的に創造しています。

もしこのプロセスを逆転してしまうと喜びは見失われ自由(愛)も見失われてしまうでしょう。



良江さんの場合、まず平和を創造するためのツールとしての機能を掲示板に持たせようとしていますよね?

またこの掲示板を生み出した存在として管理者としての役割を自分の意志で選択したはずです。

これらのことをふまえた上でもう一度以下のプロセスをどういうふうに活用するのかをしばらく楽しみながら考えたりしてみてください。

『自己創造型では自由意志→自己(掲示板)の定義→関係性の創造→役割(機能性)→自己表現・義務となります。

他者依存型では(外部から課せられた)義務→役割→関係性→自己(掲示板)の定義→自由意志の欠如となります。』


*先の危機的状況(チャンス・機会)では皆がこの板の生命を存続させようとしました。私だけでなく皆さんの意見や考えを聞いてまわることも選択肢(自由度)を広げ、掲示板(自己)の自己定義を拡大することができますよ!
 

う〜ん、><

 投稿者:良江  投稿日:2010年 2月 7日(日)01時06分45秒 eatkyo504137.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
   昨日私が会った日、その子は死にたいってミクシィの日記に書いていた。><

 ホ・オポノポノは一度やったくらいでは効果ありませんでした。><

 結局、本人は欝で死にたいと言って周りに心配してもらう状態を選んでいるのかも
 しれない。
 みんな、居心地の良い慣れ親しんだ場所があるのでしょうね。

 鬱の子自身が自分を変えようという気持ちになれないと言っていました。
 私がその子を変えようとする必要はない。

 私に出来ることは、その子に良くなってもらいたいという期待から
 私自身を楽にしてあげること。。。
 期待にそえる時もそえない時もあります。
 自分の用事よりその子の事を優先して一生懸命尽くしているつもりですが
 現時点では力不足なのだからしかたないのでしょうね。。。
 

とぼとぼ

 投稿者:るし  投稿日:2010年 2月 6日(土)22時17分34秒 p9032-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  るしです。
めんどくさいから良太でもいいんですが、ま、るしです。

>私の極端なやり方とは究極の苦しみを経験して神に復讐してやることと宇宙の根源そのものを破壊して全てを無に帰すやりかたです。
>良太さんはここまで極端に走っていませんが私はこれらのことを実際にやりました。

アセマスさんはすごいね。
ぼくにはとてもそのようなエネルギーはないな。
というか、今の自分の幻想生活の中に果たさなければならない責任を沢山産み出してしまったから、極限まで自分を追い込む前に、言い訳が山ほどできるということがある。
それから、なんだかんだ言って、結局自分はこの世界が好きなんだろうと。
昔の映画の撮影現場のように書き割りで作られたこの世界、ちょっとつつけば倒れてしまうようなこの幻想世界、と、知らされてもなお、ここに浸っていたいという未練がましい個人的想い。
そしてそんな書き割り世界に魅了されるばかりの沢山の仲間たち。ぼくはやはり彼らと歩調を合わせたい。

正直に言うと今のるしの状況は、

>「全ては一緒だから何やっても同じじゃん。」という怠惰な偽自我寄りの解釈と結びつき、創造性が極端に落ち

た状態だと思う。
夜明け前の暗さに復讐するほどの覚悟もなく、ただ居心地の良い暗い洞穴に潜り込もうとしているかんじ。
ただ、全ての属性を剥ぎ取った「金剛不壊」の自己とは、失われた実在ではなく、今この瞬間にもただそれだけが真実在としてあるのだという理解だけは、繰り返し繰り返し思い出すようにしたいと。それだけは思う。
今のこの世界、この自分の想い、この感情、すべて幻想だと言うことだけは、しっかりと把握しておきたいと思う。

少なくともぼくは苦しみは通り越したと思う。
ただ、それにしても今の自分が正しい道程の上にいるのかはわからない。
道を誤っている可能性はある。いやその可能性のほうが高いかもしれない。
夜明けはまだまだ遥か遠くかも、と思う。
このぬるま湯に愛する人達と浸かり続けていたら、
夜明けなんて永遠にこないかも。

でも、それでいいや。
ぼくはみんなととぼとぼとあゆむから。
 

早速。。。

 投稿者:良江  投稿日:2010年 2月 5日(金)21時31分32秒 eatkyo504137.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
   水曜日にホ・オポノポノを試したのですが
木曜日に「明日会えませんか?」とその子からメールがありました。
ここのところ何日か食欲も無くずっと寝たきりだったそうなのですが、
私に会いたくなったそうです。

 とにかく一緒にいる時間を穏やかな心地よい時間にすることを心がけました。
あなたのままで大丈夫、と伝わるように。。。
笑うことが体に良いらしいから笑ってもらえるように冗談を交えたり。。。

 どんな自分でも否定されない安心しきれる時間を過ごすことで
少しずつ良くなってくれるような気がしました。
 ごめんなさい、愛しています、ありがとうという気持ちで私自身を癒すと、
たぶん、相手と向き合った時の私の表情や口調が穏やかになるのかも
しれません。そういった効果はあると思いました。
でも、メールが来たのは偶然なのか何なのか、説明は出来ませんね。^^;
 

実践の時。

 投稿者:良江  投稿日:2010年 2月 3日(水)18時13分40秒 eatkyo504137.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
   アセンションマスターさんが破壊しようとして不可能だった「真の自己」とは
「魂」と言われているものですか?

 過去に破壊に向かっていた時期があったようですけど今はどこへ向かっているのですか?
 知覚正面(2次元)⇔肉体(3)⇔心体(4)⇔知性体(5)の図式を使っていつも説明
 して下さいますが、それを基にアセンションマスターさんが今どのような現実を創造
 なさっているのかが知りたいです。
 以前、世界を変える必要はない、必要なのは自分がどうありたいかだけだとも
 おっしゃっていたので、アセンションマスターさんはどうありたいと思っていらっしゃる
 のかお聞きしてみたくなりました。

 この掲示板を今後発展させるには、アセンションマスターさんの図式を応用するなら
 私たちは具体的にどのような視点でいたら良いのでしょう?
 私は平和に役立つ掲示板でありたいと思っています。一人ひとりの心の平安が
 世界平和に結びつくと思うのでそのお手伝いが出来ればいいなあと思います。

 私は知性体以上の領域があるような気がします。頭で考えていたら得られない領域。
 6番めなのでしょうか、第六感のような突然降って沸いてくる知らせ。
 自分の内面に向かうことでしか繋がらない領域。

 私は鬱の子に対して、ヒューレン博士のオ・ポノポノが本当なのか
 試してみようと思います。ごめんなさい、愛しています、ありがとうという言葉で
 私の内側を癒す事でその子が変わっていくのか、変化はないのか。。。
 私の内側に向けた思いがその子に影響を及ぼすとしたら、人の思いは宇宙空間を駆け抜け
 届くことの証明になります。生霊と同じなのでしょうかね。愛の念なら
 人を癒し、治癒力をも持つということでしょうか。
 とりあえず、今は精神世界の様々な情報を頭でわかろうとするだけでなく実際に
 試す時期なのかと思うんです。私も真剣に試してみたことがなかったので
 それを試すためにその子が私の前に現れてくれているのかもしれないと感じました。
 やってみて何も変化がなかったら誰にでも出来るような簡単なものではないという
 ことか、あるいはその子がまだ治る時期を選択していない場合は通じない、という
 条件付きのものになるのでしょうか。。。
 また変化があったらお知らせします。
 

(無題)

 投稿者:良江  投稿日:2010年 2月 1日(月)15時21分18秒 eatkyo504137.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
   確かに私の場合は苦しみと誠実に向き合っているかもです。^^
苦しみに対して、どうしてこういう状況が起こっているのか?学びは何か?と
常に考えますから。学びがわかったら感謝に変えられるまで向き合います。^^

 鬱の子の場合、「弱い自分が嫌だ。強くなりたい」と言っています。
家族からも強くなれ、強くなれ、と言われ続けているらしいんです。
少しぐらいの困難など気にせず、社会の中で生きて欲しいという気持ちなのでしょうけど
弱さを否定する事でますます本人を追い込んでいる事に気づかない。。。
 家族が追い詰めることにも責任がありますけど、結局、本人が苦しみ(この場合は弱さを
受け入れられない)を否定している間は苦しみから逃れることは出来ないってことなので
しょうね。
 弱いという中には優しい、感受性豊か、自己主張しすぎない、など良い面がたくさん
ある事を本人が認めて、「こんな弱い私でもいいんだなあ」とありのままを受け入れ、
心の中の葛藤が消えた時、苦しみも消えるんだと思うんですよね。
そうすれば、弱いと言われても過剰反応しなくて済みますから。
 私も昔はダメな自分が嫌だったんですけど、間抜け、ドジな面があるから親しみが持てる
とか人柄に癒されるなどと褒めて頂いている?ので「私ってダメ」と表面的には言っても
本心はそんな深刻にダメだとは思っていないんです。

 色々な方の体験談などからも病気や苦しみと戦わないことが大切なんだなあと
考えさせられることが多いです。

 とりあえず私はこれからはアセンションマスターさんがアドバイス下さった様に
無理しなければ理想的なら「無理せず」人生を楽しみたいなあと思っています。
 

暗闇で輝くには

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2010年 1月31日(日)19時37分33秒 125-14-103-213.rev.home.ne.jp
  この掲示板でのテーマ(流れ)として“苦しみに対して誠実に向き合うこと”があると思います。

 時期が来ているのでもうここで話しても良いと思うので以前良江さんとメールでやりとりしたことを書かせていただきます。

内容は

『良太さんは神との対話を読んでも人生が上手くいっていない人達の不満を代弁する役割を担っているようです。荒らすことが目的ではなく神との対話を読んでも役に立たないという経験を正直に表現しているだけです。本当に荒らすのが目的ならば堂々と掲示板に書き込まないと思います。』

というものでした。

私から観て良太さんと良江さんは苦しみに対するアプローチが違うだけで本質的な問題は同じ性質のもので“誰もが”経験しシェアできるものでした。

私の経験からすれば良太さんのやり方を極端にすれば過去の自分(アセマス)のやり方に似ているので良太さんのやり方に親近感(同情)と危険性(リスク)を観察することができました。
一方で良江さんのアプローチの仕方は無理をしていなければ理想的ですが苦しみのスパイラルにはまっていたら実行は難しいものだ。でもリスクは少ない取り組みだと認識していました。


過去の私からみたら良太さんも良江さんも誠実に苦しみと向き合っている人達です。


私の極端なやり方とは究極の苦しみを経験して神に復讐してやることと宇宙の根源そのものを破壊して全てを無に帰すやりかたです。
良太さんはここまで極端に走っていませんが私はこれらのことを実際にやりました。

『全てを破壊してもなお残る金剛不壊の真実がありました。』

『破壊できるのは幻想だけであり本当の意味で全てを破壊することは不可能だと悟りました。』

『全てを破壊してもなお残る観察者としての自分が存在していました。』

『破壊できるのは観察の対象と観察場だけであり真の自己を破壊することは不可能であることを完全に認識しました。』
これだけを書くとシンプルに観えますが実際には真の自己(観察者)を破壊しようと何回も試みました。しかし破壊できたのは観察の対象と観察場だけです。釈迦の手のひらの孫悟空状態です。今度こそ自己を破壊できたと思ってもなお観察者としての自己は存在し続けました。(中途半端なレベルでは肉体などの身体を再構成するのに苦労するのですすめません。)

後、破壊的な悟り方では極端な疲労が身体(観察場)に創造され、

『全ては一体である。』

という真実が

「全ては一緒だから何やっても同じじゃん。」

という怠惰な偽自我寄りの解釈と結びつき、創造性が極端に落ちるリスクが伴います。

そうすると苦しみの負のスパイラルが発生してどうしようもない現実が連続して起り続けます。


『夜明け前が一番暗い。』ことは真実です。


そして

『朝が来るとはとても思えない暗闇がある。』という現実に直面しているときは『夜明け前が一番暗い。』ことを真実として認識することはとても難しいものです。簡単にそんなことを言う奴には「同じ苦しみを味わえ!!」と言いたくなる気持ちも分かります。(意識レベルが上がると同じ苦しみを取り除きたくなり、意識レベルの上下を超越すると苦しみをコントロールする必要性からも解放されます。)

しかしそんな時もあきらめずに周囲をよく観察し自分の創造性(神性・問題解決能力)を生かす機会を探ることは大切です。

『夜明け前に自殺をしてしまっては朝日を二度と拝むことはできないでしょう。また夜明け前の暗さに復讐すべく、さらに暗い洞穴(自分の妄想の世界)に入ってしまったら明るい昼間を経験するタイミングとズレた生活をすることになってしまいます。』

過去の私からみたら良太さんも良江さんも誠実に苦しみと向き合っている人達です。

私は苦しみそのものを破壊しようとしましたがそれは弱い自我をさらに弱くする行為だったと今は認識しています。

『(生老病死の)苦しみを破壊しようとすれば、苦しみに耐えられないセルフイメージを創造することにつながり弱い自己を経験する原因になります。』

『(生老病死の)苦しみを破壊せず、あるがままに受け入れれば魂の本質である受容性を偽自我レベルでも経験できます。そうすれば苦しみは存在する意味がなくなってしまいます。』


この相対的な領域での対話(コミュニケーション)を続けるうえで苦しみを避けて通ることはできません。
しかし苦しみとの付き合い方は自分の意識レベルに合わせて無理なく行なうことをすすめます。
 

二元性

 投稿者:良江  投稿日:2010年 1月27日(水)18時20分22秒 eatkyo504137.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
   掲示板をご覧の皆様、遅ればせながら今年もよろしくお願いいたします。

 去年の8月頃、夢も希望も無い世界を体験してみようと思うとそうなるのかどうか
試してしまったら、本当にそうなってしまって。><
 私を頼ってくれている鬱で苦しんでいる20代前半の子がいるのですが、知り合ってから
2年間、ずっと死んでしまいたいと繰り返していたので、私も苦しみを味わって、
そこから抜け出せるのか試してみよう、と思ってしまったんです。><

 そう思ったとたんうまくいかないことが多くなり、私自身の体調も地獄の苦しみの
中のような状態になって悪化する一方。。。周りの人も巻き込んでしまった感じが
しました。
 例えば大事なお友達との関係が壊れそうになってしまったり、別のお友達のお父様が
手術をしたけれど経過が思わしくなく本人も体調を崩した、とか絶望的な心境になって
しまう状況ばかり引き寄せられてくるような感じでした。

 もう経験し手放しましたので、私は大丈夫です。^^
 不安から逃れるのは大変でしたけど、とにかく人生を楽しむために生まれてきたのだと
いう気持ちに切り変えて、深呼吸してリラックスを心がけたり「今」を心地よい状態
に置くようにしているうちに安定してきました。
 そんな時はぼやいてばかりで感謝もできません。天気が良い日には太陽があるから
暖かくてありがたい、など無理やり感謝探しをしました。

 そうしているうちに不思議な事にお友達も体調が良くなったとメールを頂いたり、
楽しい事がたくさん起こり始めています。
 鬱の子からもお母さんのような存在だと言ってもらえたので、とにかくずっと支え続け
て私自身も成長させて頂こうと思っています。
 その子の場合、「もう病気とのお付き合いは嫌。死んでしまいたい」となって
しまうんです。人間の60億の細胞がいつもいつも死んでしまいたいという思いで
攻撃され続けていたら元気になるのは難しいんじゃないかと思うんです。
「もう病気とのお付き合いは嫌。元気になりたい」と思えばそちらに向かって
行くと思うんですけどね。。。病気とのお付き合いも本当は「嫌」と拒否せず
意味がある、その意味に自分なりに気づいて感謝すればそのうち消えるのかも。。。
そんな訳で、すべて否定せず受け入れる事を自分で確かめたら私は今のところ
元気になれたという訳です。^^;
 その子にも、こうした方がいいよ、とアドバイスしすぎたので、今後は
会った時を楽しく過ごす事だけ心がけようと思っています。どんなアドバイスよりも
そうした経験が癒しになって自然に治癒していくのかもしれないですから。

 心の中に二元性が無い人はいないでしょうね。
 どちらも否定せず、偏らず、自分が心地よい状態を選択することが大切なのでしょうね。
 心の中の調和。バランス。。。
 心地よい状態は人それぞれなので、100人いたら100通りの答えがあるのかなと
思います。

 ご心配おかけしてすみませんでした。^^;
 

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