投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

全1000件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

究極はありふれていて、今ここにある。ですよね。

 投稿者:るし  投稿日:2009年12月 6日(日)19時12分48秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  時間と空間の中に自分が置かれているという認識の中では、
どうしても自分の所在が不明になりがちです。
というのも、今この瞬間の思いや行動の決定権を
過去からの教訓だとか未来への投資だとかいったようなものに与えてしまうからです。

そこで、完全なる自己との邂逅のためには、
小賢しい自己の策略から逃れていなければならない、というわけです。
「神と出会う」ためにも、今この瞬間に意識をしっかり止めておく必要があると。

なるほど、確かに昨日のことを思い出すことは
今この瞬間の知覚とは違い、
ひとつ次元の高い経験なのかもしれないです。
それにしてもですよ、過去を思い出すというその体験、その行為は
今この瞬間の価値を高めるのに役立つばかりとは言えないですよね。
むしろ、自分の可能性を縛り付ける要因であることの方が多そうだと思うわけです。

ぼくは「自己の最高バージョン」とは、
僅かばかりの人生経験で築き上げられるもののことではないと思います。
人生経験が役立つのは、むしろその経験が「自己の最高バージョン」に照らして、
ほとんど無意味であるということを了解するためだけ、という気がします。

自分という存在をどう認識するか、というゲームは楽しいものかもしれません。
しかし究極は他に与えた権限をすべて自己のものとして取り戻すことだろうと思います。
「自己の最高バージョン」は全知全能の神であり、宇宙そのものであり、
存在それ自体であり、光と闇であり、ただひとつのものであり、と、
なんともまあ豪華で盛り沢山なわけですけれども、
そこへの旅はなにしろどこへもうろつかない、
今ここへの意識の集中のみだろうと。

今この瞬間のぼくたちは、
神そのものだし、愛そのものだということから意識をそらさないこと。
今の自分がどんな状況に置かれていたとしても、
今ぼくたちは神そのもの、愛そのもの。

自我の経験が役立つとしたら、
この真実に感謝できること、でしょうか。
自分をちっぽけだと思ってきた、という経験が、
逆に自分の無限に対して、畏れ敬う気持を生み出すことができるのでしょうから。
 

実は近くにあるもの

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年12月 6日(日)18時10分35秒 125-14-98-228.rev.home.ne.jp
   明確に今まで伝えてきませんでしたが、私のメッセージの一つに潜在意識の顕在化があります。
 知覚正面(2次元)⇔肉体(3次元)の現実をメインにしている人達にとって、肉体(3次元)⇔心体(4次元)と心体(4)⇔知性体(5)の現実は認識の背後にあり潜在意識として働いています。

 『これは誰もが経験しているありふれた事柄です。』

例えば、きのうのことを思い出してみてください。このときの現実は心体(4次元)⇔知性体(5)の体験です。
過去や未来は心のスクリーンにしか登場しません。肉体が知覚正面上に観察する現実は常に“今”だけです。正確に言うと“今”は肉体上にありますがここでは情報が認識されるまでの誤差については説明が面倒なので話を戻します。

さて多くの人達はきのうのことを思い出すことが高次元の体験だとは思えないでしょう。外部依存型のアセンションの物語は集団的であり外部の出来事として起こり、個人的な意志よりも神や崇高な宇宙の意志の結果によってもたらされる、と思われています。

るしさんには何回もしつこく『神の祝福が普遍的であるなら、日常的な今も神の祝福は経験しているもの(普通の光の体験)です。』と言ってきましたね。

『高次元の体験が神の祝福の一つであるなら、今誰もが体験できて当たり前だと思いませんか?』

しばらく、この話題は小出しに引っ張ろうかと思います。良江さんもパワーアップして戻ってきたことですし、ネタがあったほうが面白いかな?ということで・・・。
 

自分の人生

 投稿者:良江  投稿日:2009年12月 3日(木)13時00分4秒 eatkyo302229.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
   るしさんがおっしゃるように、祝福しがたい出来事もそこからたくさん学ばせて
いただいている、という意味では祝福、感謝ですけど、祝福、感謝=賛同ではないです
ものね。二度と繰り返さないという選択に向かうための教訓的な出来事だと捉えれば
良いのでしょうね。
 親子間などでついつい思いやりに欠ける言動だったなと反省させられることが
多いですが、自己主張よりも思いやりを優先(選択)したいと思っているのに無意識で
すぐ元のパターンが顔を出してしまいます。よほど意識して慎重に行動、言動をしないと
自分の選択どおりにはいかないものです。^^;
記憶の奥深くに刻み込まれた感情のパターンを変えるのはなかなか難しいですね。
 二元性、分離にすっかり慣れ親しんでいる人類。それを超えて「調和」「平和」へと
向かえたらいいですね。

 「ぼくたちはより大きな愛を表現できた時に喜びを感じる、そういう存在なんだ」

 私もそう思います。人と争って心から嬉しいとは感じないですが、リメンバーワンの
テーマでもあるようですが「分かち合える」と心からの喜びを感じますから。
 愛と反対のものから学ぶという遠回りではなくて、純粋に愛を表現していけたら
地球は純粋な愛だけで満たされるのでしょうね。

 人間の意識は通常の意識の他に、超越意識、潜在意識の三層からなっているそうですね。
通常意識通りに事が運ばないと気まぐれな運命に翻弄されている感じがしますね。
でも潜在意識の中にカルマとか運命を支配している脳の奥底に住む凍りついた感情が
あるらしいです。
 私たちの今の人生の中での経験にしばしば登場しているのがそれなのかなあ。
転生の中で癒されていない感情をひとつひとつ充分味わいつくし、あとは感謝して手放し、
自分自身を癒す事ができれば、凍りついた感情が溶け、二度とその経験は必要なくなり
私たちの前には現れず、次のステップに進める。私たちの経験はすべて自分の次元上昇への
課題といった感じなのかなあと思っています。

 「すべてあなたを最高に輝かせるために設定したもの。
ただその出来事ひとつひとつに感謝して抱きとめれば、
それであなたの最高バージョンは表現されている。」

 ホント、そうですよね。体験ひとつひとつに感謝して抱きとめる。
 例えば辛い出来事でも感謝して抱きとめられたら、その経験は必要なくなり
 離れていくらしいですよね。

 スピリチュアル本の翻訳家山川さんご夫妻のお話によると来年は「創造」の年だそうです。
創造のツール、思考、言動、行動を使って自分の人生を最高に輝かせる創造を
心がけたいものです。
 

自分の人生を信頼する

 投稿者:るし  投稿日:2009年12月 2日(水)22時26分19秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  そういうわけで、また神対から。

 あらゆるひとと条件を祝福し、感謝しなさい。
 そうすることで、神の創造物の完璧さを認め、神への信頼を示しなさい。
 神の世界ではいきあたりばったりに起こることは何もないし、偶然もない。
 世界は、あなたがたが運命と呼ぶ気まぐれな選択に翻弄されてはいないのだ。
 (神との対話 文庫版 p84)


祝福し難い出来事というのはこの世に毎日のように起きています。
その祝福し難い出来事にかかわる人たちの、
その場の選択に全て賛同できるかといえば、
それは無理だと思うんですよ。
誰かを傷つけてしまったり、殺してしまったり、
自ら命を絶ったりとかね。
そういうのを祝福すんのかと言えば、そりゃまあ無理だけど、
でも賛同できない選択からも次なる選択の場は生まれてくる。
可能性はどんな選択にも等しく開かれている・・・
などと、そんなことを、この神の言葉から思いました。

ぼくたちはより大きな愛を表現できた時に喜びを感じる、
そういう存在なんだという考えにはみなさん同意していただけると思います。
で、そういう見方からなら、
どんな出来事からも大いなる喜びへと繋がる可能性は生み出せると、
そんなふうに思いませんか?

神とは畢竟ぼくたち自身のことなんだ、というのは頷いて頂けますか。
だから「神との対話」という本の中の神の言葉にしても、
これはぼくたち自身がぼくたちに告げる言葉なわけですよね。
そうすると、

 神の創造物の完璧さを認め、神への信頼を示しなさい。

という言葉は、
「私達の生み出すものの完璧さを認め、自己を信頼しなさい」
と受け取れますね。

 神の世界ではいきあたりばったりに起こることは何もないし、偶然もない。
 世界は、あなたがたが運命と呼ぶ気まぐれな選択に翻弄されてはいないのだ。

運命を外部から押しつけられたもののように捉えると、
自分の人生は気まぐれな運命に翻弄されているのだと感じるわけですよね。
だけど自分の人生の青写真を用意したのは自分だし、
その人生を実際に生き、次の瞬間の自分を決定していくのは、
あくまで自分なんだと。

・・・あれ? このあたりちょっと自信がないや。
カルマとか運命論的に考えると、
人生のデザインは最後まで固定されているように感じますよね。
だけど次の瞬間の選択は自分の手に委ねられていると?
ふーむ・・・

今回の神の言葉は、ニールの、
「ハンディを持つ人たち、制約ある人たちにも無限の可能性があるとは思えない」
というような意味の質問に答えたものですが、
神の答えは、要するに、
「どんな状況からでも自己の最高バージョンを表現することは可能である」
ということなんでしょうけどね。

じゃ、もう一歩踏み込んで、こう言ってみましょう。

「どんな状況にあっても、それが自己の最高バージョンなのだ」と。

「運命を切り開く」という言い方がありますが、
別にそんな努力をしなくったって、あなたの人生に起きる出来事は、
すべてあなたを最高に輝かせるために設定したもの。
ただその出来事ひとつひとつに感謝して抱きとめれば、
それであなたの最高バージョンは表現されている。

って、そんなところでしょうか。
 

お久しぶりです。近況報告。

 投稿者:良江  投稿日:2009年12月 2日(水)20時39分22秒 eatkyo302229.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
   書き込みしてくださっている皆さんありがとうございます。

 先日、テレビで盲目のピアニスト辻井さんの特集を観ました。
お母様はわが子が目が見えないとわかった時は死ぬことばかり考えていたそうですが
1歳のお誕生日に買ってあげたおもちゃのピアノで歌のメロディーを弾いていたのを
聴いた時に光が差したそうです。おもちゃのピアノが希望を与えてくれたのですね。
 小学校6年の時、「僕は目が見えないけどピアノが弾けるからいいや」と言った言葉を
聞いてお母様は成長を感じて嬉しかったとのこと。

 「たくさんの人に聴いてもらえるピアニストになりたい」

 ピアニストになるために優秀な指導者のもとに通い、お母様と二人三脚で
夢を実現するために歩んでこられました。彼の夢を支え続けたお母様も偉大な方だと
思いました。
 ピアニストになるという夢に向かってまさに着々と創造的な人生を歩んで来られたのですね。

 私は先月老人施設でピアノボランティアをした際、お友達との連弾で高音部を
担当しましたけど、高い音域に聴力障害があり、自分の出している音が聞こえないんです。
まさか聞こえていないとはお友達も気づいていないと思います。
本当は聞こえない演奏ってむなしさや悲しさも感じますが、そんなこと思っていても
何も進展ないですから、それでも多少人様の役に立っている自分を励ましながら
生きている状態です。結構私なりに頑張っている人生なので辻井さんの純粋さ、真摯な
生き方に感動して涙してしまいました。

 人はそれぞれ悲しみや辛さを抱えていると思います。。。
 でもその中で精一杯自分が輝くための創造を行いながら生きていきたいものですね。

 神との対話の神様が何度もしつこく教えてくれている「創造」
 今はちょっと辛い私。不安にばかり焦点を当てて不安を自分で
 引き寄せるとしたら自分で自分の首を絞めるようなもの。
 どうしたいか? 自分を最大限に発揮できる人生にしたいなあと思います。
 それには、まず目の前の事をひとつひとつ大切にすることかと思います。

 そういえば、先日人間関係で、ちょっと真っ青になるほどの流れになってしまった
のですが、絶対良い方向に行かせたいと思い、実際に言葉も最大限の思いやりが
伝わるように気をつけ、思いも愛を送る気持ちにしていたら、好転しました。
神との対話で言われることは本当かも。。。とちょっぴり思いました。。。^^;
あとは今の辛い状態をこれから100%ポジティブな創造で好転させる事が出来るか
どうかやってみたいと思います。^^;
 

究極的には

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年11月30日(月)01時19分0秒 125-14-98-228.rev.home.ne.jp
   るしさんのいうように究極的には自己創造型の文化(幻想)しか存在しないとも言えます。
なぜなら無意識的な選択も始めは意識的な選択によってもたらされましたし、他者依存型の文化も自己を創造・経験する延長線上に現れたものだからです。

『問題は幻想の中で繰り返される人生(輪廻)のなかで最初の意識的な選択が自分の意志でもたらされたという真実を見失っていることです。』

『そのために何度も何度も同じ人生モデルを繰り返します。(悪いことではない。)』

人生が機能しなくなるのは自己創造型の人生を生きたいのに他者依存型のロールモデル(役割)を創造してしまうときです。

ですから他者依存型の人生を当人が望んで(選択・表現)しているのなら全く問題はなく神やマスターもその自由を認め特別な関与をしません。

というのは冗談で特別な関与をします。

他者依存型の人生を選択しているのだから依存性が増すことが欲求としてある場合、特別な関与をして依存性を高め自立心を奪うことで選択者の望みをかなえてあげられます。

また他者依存型の人生を選択していても、そろそろ真実を観ようとする存在の欲求は他者からの解放と自由にありますので自立性を高めるカタチで関与がもたらされます。(始めは試練や苦行と感じる場合が多いです。)
簡単に言えば創造性(神性)の回復をもたらす関与があります。

自己創造型の文化では選択者は創造性(神性)を自由に使っていますから神やマスターを必要としません。お互いがマスターであり神の部分的現れであることを自覚しているので神やマスターは救済者ではなく普通の友人です。
だからこのタイプの文化(幻想)では救済という依存性の高い幻想は存在しません。もちろん自己創造型の文化⇔他者依存型の文化というスケールの間には様々な中間種・多様性が存在するので自己創造型でも他者依存型の混ざり具合で救済の度合いも違ってきます。
 

自己創造的他者依存型人生

 投稿者:るし  投稿日:2009年11月23日(月)19時59分26秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  おお、アセマスさん、素晴らしいですね。
こんな意見を引き出せるなら、
ぼくの、しょもない「神との対話」ネタも充分に意義があると言わざるを得ないです。

みなさんに補足説明させていただくなら、
他者依存型の人生というものだって決していけないわけではないということです。
そういう人生を選択して、依存型の人生を経験すること。それ自体はいいも悪いもないわけです。
勿論ハヤリすたりはあるでしょうから、他者依存型人生なんてダッサーイみたいな価値判断はありでしょうけど。
要はその人生を意識的に生きているかというところにありそうです。
他者依存型の人生を主体的に生きているか、なんて妙な問い掛けですが、
自己創造的に他者依存型人生を生きるという道だってあるわけです。

ま、ぼくもそうですが、みなさんも「そんなのもうええわ」とお感じだろうとは思うんですけどね。
 

苦痛なしの喜び

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年11月23日(月)00時25分10秒 125-14-98-228.rev.home.ne.jp
編集済
    苦痛なしの喜びとは苦痛を身体レベル(知覚正面、肉体、心体、知性体)で経験していながら、同時に魂のレベルで客観的に観察できている状態です。

 今までの流れの繰り返しになりますが

 『観察の対象(身体)と意識が一体化している場合は苦しみをリアルに経験します。しかし意識を観察の対象から引き離している場合はリアリティが薄れます。』

 『問題解決(観察の対象を機能的に働かすこと)には意識を問題から引き離して、一つ上の次元から観察することが有効です。』


 ここからは“るし”さんの名前(役割・機能)と関係してきますが、多くの人々の苦しみを共有しかつ自由に生きるための知恵を見出すことが可能になるはずです。


 絶対的領域から神やマスターが「人生なんて幻想だから“苦しみ”なんてありはしない。」なんて言っても、相対的な領域で実際に苦しみを経験している生命にとっては「俺達の現実を理解していない!」となります。

 上の文章を訂正して

絶対的領域から神やマスターが「人生なんて幻想だから“苦しみや喜び”なんてありはしない。」なんて言っても、相対的な領域で実際に“苦しみや喜び”を経験している生命にとっては「俺達の現実を理解していない!」となります。

ここで神やマスターたちが経験している現実に関してより正確に理解していくことが現実をあるがままに経験するヒントになると思います。


1. 全ては一体である。絶対的領域と相対的な領域は分離して存在しているのではなく、相対的な領域は絶対的な領域の部分として存在しています。


2. 神やマスターも相対的な領域を経験している。相対的な領域に対する執着がなくリアリティが薄いのは事実です。

3.  全体性の中で全てを理解している。例えば知覚正面のお金や土地といった2次元身体を所有という限られた現実(狭い意識視野)で観察しているのではなく全体的な関係性のもとで知覚正面を観察をしています。また心体のイメージ・思考・感情といった4次元身体を肉体という限られた現実(短い時間意識)で観察しているのではなく永遠性のもとで心体を観察しています。
     永遠性の時間認識のもとでは全ての生命が自分自身を開放(自力で救済)し、成功をおさめているのが観察できるので神やマスター達のメッセージは「あなたにも同じことが簡単にできる!」という内容になってしまいます。

4. 機能と役割を理解している。相対的な領域も究極的には絶対的な領域です(全ては一体であるから)。しかし相対的な領域には相対的な領域固有の個性・役割つまりダルマ(本質・法・義務などを意味する梵語)があり、神やマスター達はこの宇宙の機能性を尊重し活用しています。

他にも様々な理解がありますがあげていったらきりがありません。なにせ魂は全知全能なのですから。

真の解放とは全知全能に戻るプロセスそのものです。全てを機能的に理解して現実に適応し永遠に永続します。

逆に言えば機能性を無視して適当にやってしまえば適当な現実を経験しますし、知恵や理解を放棄して無知を深めれば現実は機能不全に陥ります。(神との対話の中で人類が急激な適応に迫られているとの警告がありますが、これはこの本の読者に向けたもの。幻想を幻想として受け取りたい人達には関係がありません。真実を意識的に生きたい存在へのメッセージとして二―ルさんというフィルターを通してもたらされています。)


ここでの対話は

A.意識的に(現実を創造して)生きる。

B他者依存型の文化(幻想)ではなく、(より真実に近い)自己創造型の文化を選択する。

という前提のもとでなされていると思います。


他者依存型の文化では自由を経験できません、なぜなら他者が変化(活動)を起こしてくれなければ自分の現実に変化が起こらない現実を“無意識のうちに創造してしまう”確率が優勢になるからです。

“責任”という事例を出してみます。

デスクワークをしている途中で同僚が自分の机の前を通り、消しゴムをひっかけておとしてしまったとします。
「消しゴム落としたから拾っといて!」
と言ったら、気付かずにそのまま行ってしまいました。

もしここで、同僚が落としたことに固執して同僚が拾うのを待つならば、消しゴムを自由に使うことができないでしょう。

しかし、自分でさっさと拾ってしまえば消しゴムはすぐにつかえます。


別例をあげます。事故や事件に巻き込まれた場合なども同様です。この場合は保険屋さんや警官、弁護士の役割を尊重して彼らに任せるのも大切です。しかし最終的な解決は事故や事件に対する執着から離れてはじめて成しえます。
いつまでも加害者を恨んでいては自由はありません。自分の意識を引き離すという自発的な活動によって心体(感情など)の自由を取り戻すことが可能です。


自己創造型の文化では被害者は存在しません、

『自分の身体(知覚正面・肉体・心体・知性体)の管理は自分でしたほうが自由であることを知っているからです。』


 ですから自己創造型の文化では加害者も当然存在しないことになります。


他者依存型の文化では責任は道徳・宗教の倫理観の影響から重い罪の意識などと結びつき積極的にとられることはありません。

反対に自己創造型の文化では責任は道徳・宗教の倫理観(機能性)の影響から自由や変化の意識と結びつき積極的に喜んでとっていきます。

 あと、るしさんは神との対話シリーズを全て読んでいないみたいですが一応目を通すほうがいいかもしれませんね。
 メッセージの内容はシリーズ全てで抽象度の高いレベルでは変わりません。しかし二―ルさんの意識レベルの変化で具体的なレベルでの内容に変化がみられます。これは神が全ての個性(意識レベル)を受容し受け入れているからです。
しかし読者の中には自分の期待する内容ではないとして離れてしまうケースがよくあります。

愛や感謝といった“抽象度の高い概念”は解釈する側が自分の意識レベルに合わせて自由に解釈でき共感が生まれやすいという事実があります。

しかし宗教的な規律に見られるような“具体的な行動指針”は受け取り手の意識レベルに合わなければ共感は生まれにくい事実があります。また意識レベルというものは一定ではなく変化するのが自然ですから、同じ具体的な行動指針(メッセージ)を続けるのは現実的ではありません。

二―ルさん自身、「行間になぜ半年もかからなければならないんだ!!」と嘆いているように神からのメッセージを特定のやり方で受け取ったりコミュニケーションをしたりするのは困難です。ですから読者が行間の移動に何年かかろうが問題はありません。

逆に成長にこだわらず、特定のコミュニケーションに固執しなければ、神はいつも私達とともにあり対話を続けていることを簡単に認識できます。
 

苦痛なしの喜び

 投稿者:るし  投稿日:2009年11月17日(火)21時08分26秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
   苦痛を少なくし、
 智恵も減らしたのでは、
 目的が損なわれる。
 そんなことをしたら、
 あなたは限りない喜びを体験できなくなる。
 それこそが「わたし」なのに。

 もうちょっと辛抱しなさい。
 あなたは智恵を得ている。
 もう、苦痛なしに喜びを増やしていくことができる。
 それも、非常に良い兆候だ。

 あなたは苦痛なしに愛すること、
 苦痛なしに手放すこと、
 苦痛なしに創造すること、
 苦痛なしに泣くことさえ学んでいる(思い出している)はずだ。
 そう、
 あなたは苦痛なしに苦しむことさえできる。
 この言葉がどういう意味かわかるかな。
 (神との対話 文庫版 p270)



今日はこんなところを開いてしまいました。
これも一筋縄ではいかないところですね。

ぼくは頭がカタイので、苦痛なしに喜びを得ることができるというのを
未だに想像できないでいます。
というか、どう考えても喜びとは苦痛あってのものだ、としか思えない。
これ、ぼくが旧人類だからでしょうか?

出だしの部分がちょっとわかりずらいので、
少し前の神の言葉も載せておきましょう。


 これまでだって、
 退屈なつまらない仕事はひとつもなかった。
 あなたはすべてを愛していた!
 最後の瞬間まで!
 人生はじつに甘美なものだ!
 じつにすてきな体験だ、そうではないか?

 これ以上、どんなすてきな体験があるんだね?
 あなたはすべてを経験させてもらえる。
 涙も、楽しさも、苦痛も、喜びも、昂揚も、激しい憂鬱も、
 勝利も敗北も、引き分けも経験できる。
 これ以上、何がある?
 (神との対話 文庫版 p269)


それこそが「わたし」なのに。
つまり喜びも悲しみもひっくるめて「わたし」なのにということですよね。

ところがですよ、
ところが神はこう言い始める。

 もうちょっと辛抱しなさい。
 あなたは智恵を得ている。
 もう、苦痛なしに喜びを増やしていくことができる。


まるっきり?です。
「わたし」は喜びも悲しみも、なはずなのに、
智恵を得た暁には悲しみなしに喜びが得られると?
それって、どーゆーこと?
この神様、一体何が言いたいんだろう。
すべてを経験できる、これほど素晴らしいことはないと言いながら、
そのすぐ後で、これからは苦痛なしに苦しむことが可能になるぞ、とは。


で、しょうがないので、こう考えておきます。
全ての経験が可能である、ということは、
苦しんで苦しむことも
苦しまずに苦しむことも
どちらも可能だということ。
で、これまではさんざん苦しんで苦しんできたけれど、
智恵が進めば苦しまずに苦しむという体験も可能になるぞ、と。
おまえらは成長したんだゾ、と。

どうですか?
ぼく自身はまだ苦しむことに甘美な喜びを見いだしているので、
(なんてのはウソで、苦しいのはとうの昔から全くもって御免です!)
この、神の発言には決して諸手を挙げて「そりゃすばらしい!」と
賞賛する気にはなれないのですが・・・

世の中そんなふうになっていくんでしょうかね。
 

堅物なもんで

 投稿者:るし  投稿日:2009年11月15日(日)12時38分41秒 p2241-adsao01yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  今思うと、
良江さんの書き込みは非常に自分の内面を正直に出していて、
いつも表面的な発言とは裏腹な心理状態を発信し続けていたように思います。
ぼくはそれに対してあれこれ提案してきたつもりだったのですが、
ぼく自身が良江さんと同じような心理的ステージにいたものだから、
どうやら解決の糸口はこっちのほうだと思っても、
なかなかそれをうまく表現できなかったと思います。

辛いことや苦しいことに対しては、
しかたがないと諦めるのではなくて、
積極的に抱きしめ愛していく必要がありますね。
あるがままでいいというのは、
希望を失うような失意の中に見いだすものじゃないことは、
みなさんも理解していらっしゃると思いますが、
どうしても自分の状況に対して譲歩することが、
全てを受け入れること、という方向に行ってしまいますよね。

でも、あるがままでいい、は、
そう思い至る時には、
とっても希望に満ちた輝かしい思いになったと思うんです。
自分のダメさ、弱さ、愚かしさが、
可笑しくて泣き笑いしていると、
あ、

って、なる、そんな感じ。

まわりが輝いて見える時はそんな時ですよね。


p.s.
るし、はもちろんルシファのるしです。
ぼくはそんなことはないと思っていましたが、
でも自分のハンドルネームをルシ太にしようとしたときには、
やはり、なんていうか闇に飛び込むような緊張感がありました。
みなさんも自分の中の闇に飛び込んでみて下さい。
それは自己限定という自分の拡張を阻むブロックでしかないですよ。
どんな闇の底も神の愛の中でない場所なんてないですよ。
ホントですよー。
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/100