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しばらく書き込みが途絶えているようなので、
ひとり言を書かせて頂きます。
あ、ぼくは良太です。
ルシタも気に入っていましたが、ひらがなの方が可愛い感じがしたので、
るし でいこうと思います。
って、別にそんなことどうでもいいですか。
久々に本棚から「神との対話」を持ち出してきました。
もうこの最初の一冊しか手元にありません。
文庫本のやつです。
前半分くらいはマーカーでマッカッカーになっています。
そこで、適当に開いて、そのマーカーで印をつけたところをピックアップして、
なんか書こうかなと。
安直です。昔みんながやっていたようなことです。
ま、でも、安上がりでいいですよね。
ぶつぶつ言ってないで、まいりましょうか。
では、せーの。
あ、いいなあ。
119ページです。文庫本のね。
一カ所だけマーカーしてありました。
こうです。
「人生のすべては神聖だ。」
ええと、これはどんな文脈で語られたかというと、
ニールが自分が神と対話しているなんて考えるのは、あつかましくて、
そんなことを公言するのは狂気の沙汰だと感じている。
で、神は聖書の執筆者だって君と変わりはなかったんだよって言う。
それではこの文書もいつか「聖なる書物」になるのかと問い掛ける。
そこで神がこう答える。
「わが子よ、人生のすべては神聖だ。」
この言葉を本当に心の底の底から言えるようになるには、
ぼくはまだぜんぜん人生経験が浅いかもなあ。
浅いかもしんないけど、
この言葉が真実だということには些かの疑問もないですよ。
人生のすべてが神聖であるというのは、
人生のすべてを肯定できるということですよね。
すべてを肯定できるというのは、
否定するものがないということ。
この、なにひとつ否定しないということは、
実際に人間家業をやっていると、ほぼ不可能なわけなんだけど、
不可能だってことさえ、否定しない。
そんなのイヤだ。ダメだ。ノーだ。
と感じることそのものも、そのまま受け入れる。
これはただ否定しているのとはわけが違いますよね。
否定してしまう自分を肯定的に受け入れるところに自分が立つ、
立っていると認識しているわけですから。
そういうことだから、決してただイヤだと言っているわけではないと、
ぼくはそう思います。
そうやって、世の中のイヤな部分、自分の中のイヤな部分、
そんなのをひとつひとつそのままに肯定してしまう。
そういうことをしていると、
ふと、自分のあるがまま、世界のあるがままが、
そのまま神聖なものとして感じられる時がやってくる。
「人生のすべては神聖だ。」
神が言うんだから間違いないでしょう。
今の自分がどんな状況に置かれていようとも、
それが自分にとっての神聖なる一瞬です。
自分が輝いている姿です。
いや、全ての人、全ての物、全ての出来事は、
どんな瞬間にも、まったく輝きを失ったりしたことはない。
これからも輝きが失われることはない。
そんなふうに感じて、また明日もぼくはバカをやる。
オメデタイ人生を紡ぎます。
みなさんも、どうぞオメデタイ一日をお過ごし下さい。
「人生のすべては神聖だ。」by 神
のっけからいいとこ開いちゃいましたね。
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