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またやろっと。
「神との対話」から任意にピックアップして好き放題書きます。
今日は文庫本の173ページからです。
情熱とは、
「こう在る」ということから「行為」への転換を愛することである。
情熱は創造というエンジンの燃料である。
情熱は思いを経験に変える。
情熱はほんとうのわたしたちを表現したいという思いを駆りたてる火である。
決して情熱を否定してはいけない。
否定すればあなたが何者であるか、ほんとうは何者になりたいかを否定することになる。
悟りとは情熱を否定することではない。
結果への執着を否定することだ。
情熱は行為への愛である。
行為は「ある在り方」を経験することだ。
それで、行為の一環として何が生まれるか?
期待だ。
期待なしに人生を生きること−−
具体的な結果を必要とせずに生きること−−
これが自由である。
これが神性である。
これが、わたしの生き方である。
なんか難しいとこ選んじゃったかも。
なにしろ情熱とかとは無縁な人生歩んできたですから。
この中でぼくが気に入った言葉は、
悟りとは情熱を否定することではない。
結果への執着を否定することだ。
と、終わりのところの、
期待なしに人生を生きること−−
具体的な結果を必要とせずに生きること−−
これが自由である。
これが神性である。
これが、わたしの生き方である。
です。
僕たちが生きて行くのに必要なのは、
現状の肯定と、未来への信頼だろうと思うんです。
なので結果への執着を否定すること、と言う、
言い替えれば過去への執着を捨てるということには、
素直に賛同できるのですが、
神は更に、期待なしに人生を生きることが自由であり、
それが神の生き方なのだ、と言うのですから、
つまりは未来への期待をも否定しているというわけです。
過去にとらわれない。
そして未来にも期待しない。
前後を削ぎ落としてただ今に情熱を傾けること。
それが神の生き方だというわけですよね。
なるほど確かに、
僕たちは瞬間瞬間で在るべき在り方を選択しているのかもしれない。
でもその生き方を過去や未来に影響されずに、
ただ、この今に意識を集中させて生きるというのは難儀だなあ。
そりゃま意識的に生きるというのは、
充実した人生を送る最良の方法には違いないでしょうけどねえ。
しかし、骨が折れそうだなあ。
神のように生きるのに、もっと楽なのはないもんかなあ・・・
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