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そこのところ、何となく分かるような気がします。
私たちの人生は、神が体験したい事を盛り込んで創作したシナリオに従って演じる劇の様なものではないかしら。
それもひとりひとりにあてがわれた一人ひとつのシナリオ。
だから、その内容を否定したり、勝手に期待や希望を持っては、ストーリーが違ってしまうのではないかしら。
私たちがするべきことは、与えられた人生の一つ一つの場面を、素直に受け入れ、真剣に情熱をもって、経験する事、生きる事なのではないでしょうか。
過去の記憶や価値観に振り回されることなく、また偽自我でありこの劇中の主人公である私が期待する結果に執着せずに、ただあるがままを真面目に楽しむことなのでは。
昔、遊園地のジェットコースター(一回転するの)に乗った時凄く怖くて、前にあるバーにしっかりつかまって構えると、急降下し始めると益々怖くなり、ガッシリしがみついた手が疲れちゃって、ふと、もういいや〜と思って力を抜いた途端に、全く怖さを感じなくなってしまったのです。
ぐるっと一回転して止まり、また後ろ向きに一回転しても、動きに身体を任せていると全然怖いどころか、風景もよく見えて心地良いくらいでした。
人生もこれと同じ様に、ハンドルを手放し、あるがまま、今ここに意識を向けて生きる事なのだと思います。
さらに、思うに、この一人一人のシナリオは、ある程度の変更は可能なのではと。
それが、ホ・オポノポノで言われているデリートする事なのではないかしら。
もしかしたら、シナリオ通りなら問題ないのに、過去の記憶が作用したために修正を余儀なくされたことで、ホ・オポノポノのデリートが必要なのかもしれませんね。
仏教ではお念仏でしょうか。
それも全て偶然ではなく必然だと…神のなさることは計り知れません。
この素晴らしい仕組みに感謝ですね。
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