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執着と期待の活用法!?

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年11月 7日(土)22時27分5秒 125-14-98-228.rev.home.ne.jp
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   気のせいか“るし”に名前を変えてから良太さんの表現がさっぱり爽やか系になってしまい別人のような感じがします。(何かが落ちてすっきりしたみたいですね。まだ経過かもしれませんが。)
 否定性の活用の仕方、神との対話からの引用と解説で上手くまとまっていますね。Majuさんのフォローも合わせてみると分かりやすいですね。(全ての存在が神からのメッセージなのだから当たり前なんだけど、否定性を使うときは意識が縮小して全てとの関係性が見えなくなってしまい気付くのが難しくなる。見えないだけで関係性は常に存在し、関係性のもとに全ては常に一体。)



 さて執着と期待の活用のしかたについて書いてみたいと思います。

 執着とは意識が観察の対象と一体化してしまいそこから抜け出せなくなっている状態です。また観察の対象を自己と同一視してしまっているために観察者(創造者)である真の自己を忘れてしまっている状態です。

 活用の仕方としては他者(観察の対象)をリアルに体験できる点があげられます。ここでいう他者(観察の対象)は物・人・社会の三者です。

 物として現れた他者は知覚正面上に観察されます。お金や土地は2次元的な身体です。この身体の健康や豊かさを保つことは肉体や心体の健康・豊かさを保つことと全く同じく大切なことです。(当人が健康や豊かさを望んでいることが前提です。)

 さて他の意識体の管理するお金や土地は他の意識体の自由意志に任せられています。ですから当然自己の支配できるお金や土地といった2次元身体は自己の管理下にあるお金や土地です。

 ここで執着つまり意識が観察の対象と一体化している状態を想定してみましょう。

 他者依存型の文化(幻想)では他者のお金や土地と意識が一体化しやすい傾向があります。そのために自分の活用できるお金や土地などの2次元身体の在り方の適切な管理をおろそかにしてしまいがちです。すると自分の2次元身体から様々な信号(メッセージ)が出ていても気付くのが遅れてしまいます。

 自己創造型の文化(これも幻想・ゲームの一種。真実に限りなく近く自由度が高い幻想形態。神との対話の読者のほとんどがこちらに移行中。)では基本的に無意識に執着することはありません。しかし自分の管理する2次元身体を適切にコントロールするために意識を2次元身体に入れています。
意識的な投入なのでいつでも抜くことは可能ですが、他者依存型の文化と接触の度合いによっては意識が執着レベルでの一体化をもたらす可能性は充分にあります。


『そもそも全ては一体ですが、相対的な領域ではバラバラであるという実感に基づく認識が生み出す現実をどう扱うかがゲームを楽しめるかどうかのポイントになります。』


『もし特定の対象にだけ一体感を感じているのならそれは幻想です。しかし、存在するものと存在しないもの、そして存在という認識を超えた全てに対して一体であることを観じているのなら一体であることは真実そのものです。(この時、観じている自己と観察の対象の間に区別はありません。)』



 相対的な領域では、観察の対象⇔観察場(観察者のいる位置)の関係性を適切に理解して機能的に働かせるほうが面白いでしょう。(全ては一体なんだから何やっても同じでしょではめちゃくちゃになり、人によっては苦しいだけでなんも楽しくない人生が創造されます。)

 意識は観察の対象と観察場の間で情報がやりとりされている状態です。どちらかに極端に傾いていると機能しません。

 ですから正常な状態では水の意識によって観察の対象側の情報が観察場へフィードバックされ、火の意識によって観察場の情報が観察の対象に対して表現されます。

 自己創造型の文化では自己(偽自我)の所有(魂の管理)する身体が表現のための観察の対象(場)となります。対象と場が一体となっている現実を生きることになります。

 他者依存型の文化では他者の管理下にある身体を自己(偽自我)の欲求を表現するための場として認識してしまう傾向があり争いや対立の原因を生み出します。観察の対象と場は別の機能(自由意志)をもっているのに無理やり一つにしてしまうやり方が執着を通した一体化から生まれます。



 『執着は一体化という幻想を生み出すのに役立ちます。よりスリリングで先の読めない展開を人生に求める上で役に立つツールであるといえるでしょう。』



 『観察の対象から意識を離すことで執着は自然に消えます。本来の軽やかで自由なあり方に簡単に気付くことが可能になります。』



 ここで重要なのは意識を離すことです。嫌な物事から身体が逃げても意識が嫌な物事に執着して一体化している限りは何も変わりません。





“期待”の活用の仕方は諸刃の剣になりやすいので注意が必要かもしれません。期待は情熱を高める利点がありますが、これは同時に期待が裏切られた瞬間に情熱を瞬殺する原因にもなりえます。

 自己創造型の文化で真の自己(魂=観察者=創造者)のあり方に期待するなら情熱を無条件に高められます。しかし神や魂に期待や崇拝は必要ありませんのである意味無駄ですが、偽自我を一時的に鼓舞して高みをのぞかせてあげるという意味で有益です。

 他者依存型の文化では主に他者(観察の対象)に期待をしますが、他者には他者の自由意志があり選択の自由がありますから結果は他者次第となります。
そこで、他者が期待通りの活動をした時には喜びから間違った学習をしてしまう可能性があり他者への依存度が増し幻想はより濃くなります。
もし他者が期待を裏切り自分の情熱を削ぐ結果をもたらしても、他者への執着から解放されるきっかけとなるなら自由を得る近道となりえます。

 多くの人たちは期待のエネルギーの使い方を知らず身体が疲弊しています。

1・他者に期待せず自己に期待する。
2・自己とは何かを探求する。

 これらの段階を経ることで最終的には期待というエネルギーを必要としない真我のあり方を生きることが可能になります。

 始めは偽自我への期待でいいですから自己へのエネルギー投資を増やすといいでしょう。本当の自分に気付き偽自我から解放(正確には偽自我を解放する)されれば魂の冷めぬ情熱に目覚めエネルギー不足におちいることはなくなります。


*補足・執着の例で知覚正面(2次元)主体で書きましたが観察が容易であれば上位の次元の身体とその対象(人や社会)についても同じことが観察できます。
 
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