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そこのところ、何となく分かる様な気がします。
期待とエネルギーと情熱について、とっても分かりやすくて嬉しくなります。
ありがとうございました
るしさん!
人生という劇のシナリオについて、やっぱり次の瞬間は常に白紙なんでしょうか?
『この瞬間の動きが次の瞬間の動きを決定していく。』
とすると、時間が強調されてる様に感じてしまいますが…
本当は時間なんてないのですよね?
るしさんのここ『
ぼくたちがひとつであるとき、ぼくたちの自己愛は究極的だろうと思うんですね。
というのも自分の愛を向ける先が自分しかないからなんですけど。
しかしそういう状態では、恐らく愛は愛という状態ではないんじゃないかって思うんです。
ぼくは愛を能動的なものと理解しています。
だから動きのないところでは、愛は愛として機能することができない。そんなふうに思います。
で、動くためにはひとっところに固まってちゃだめで、
こことあそこと二手に分かれて、キャッチボールをしなくちゃいけない。
そうしたときに初めて愛が愛として意味を持ち始める。
愛を経験するためにはひとつでいちゃだめってわけです。
そこでぼくたちは無数になることを選んだ。
幻想でもなんでもいいから、愛を感じるための舞台を作りたい。
幻想でかまわないから、あなたにいてほしい。
きっとぼくたちはそう願ったんですよ。
ところがこれはぼくたちの完全なる姿の否定でもあるわけです。
自己の真の姿の否定。自己否定ね。
そうして初めてこの世界が生まれる。
動きのない可能性としてしか存在できなかった愛が働き始めたように見える世界の誕生。』
そうそう!神は壮大なスケールの舞台を創造し、地球や動植物や人間のひとつひとつのシナリオを創ったのだと思います。
愛とはあらゆる感情を体験する事ではないかしら?
神はたったひとりだと、ただ淋しいという感情しか体験できなかったから…
まだまだ考えるお題は沢山ありますね〜!
わくわく♪♪♪
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