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またまた質問!

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月22日(火)22時21分34秒 softbank221052068188.bbtec.net
  『執着』と『信念』はどう違うのでしょう?  

うんにゃ、正真正銘のアル中です

 投稿者:良太  投稿日:2009年 9月22日(火)11時12分52秒 p22004-adsau04yokonib2-acca.kanagawa.ocn.ne.jp
  アセマスさん、毎度いろいろありがとうございます。

僕なりにもう一度否定性について表現してみます。
多くの人が語っている、実は否定性は肯定性と一体のものなんだという理解には、実体験は伴わないものの強く賛同しています。今、自分の態度を振り返ってみて言い訳させてもらうなら、僕が否定性にこだわったのは、周囲の人が否定性の否定にこだわり、それが結局全体性の否定につながっているのだということに気付いてもらいたかったということです。自分はポジティブだと考える事は単なるネガティブの否定であって、それは肯定性を否定する態度と同じだけ世界を否定しているのだと言いたかったのです。
そういう態度が苦しみを生むのだとブッダは語ったと理解しています。

>宇宙には肯定・否定という両極(方向性)の間に様々な比率の中間種(多様性)が存在しています。

僕には多様性について語る用意は全くありません。が、今想像してみるかぎりで言うならば、両極の間に存在する多様性の無限性を、連続するひとつのものと捉えずにそれぞれにポイントつまり意味を設定するということに問題があると考えます。アセマスさんも世界は無意味であると言った。だから自由に意味を与えられるのだと。でも僕は世界は無意味なまま受け取る必要があると考えます。もちろんこれは現実の意識の場でではなくて拡張された意識における認識に関わる問題かもしれませんが、なにしろ少なくとも心の隅に世界は分離されていないという想いが無ければ、ひとつの意味はあっという間に無数の意味を生み出し、あっけなく苦しみの種で自分を覆い尽くすことになるだろう、ということです。これ、単に僕の意味アレルギー、多様性アレルギーかもしれませんけど。

>神秘体験の基準を派手な演出の光の体験だけでなく日常的な小さな気付きも含めるようなものにしてみてください。

>『神の祝福が普遍的なものであるのなら、普通の日常的な光は神の祝福そのものです。』

美しいなあ。見事な表現ですね!
今この瞬間のあるがままが神の息づかいなのだという想いを、日常のなかでどれだけ想起できるかが大事なところですよね。

>幻想からの段階的な解放を体験するたびに私がいうことがわかり、信じる必要性から解放されるでしょう。

幻想からの解放なんて本当に有り得るんだろうか?
幻想からの解放という幻想を見ることなら最近巷でハヤリのようですが・・・
 

ジュピターさんへ

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月22日(火)08時20分25秒 softbank221052068188.bbtec.net
  前回の丁寧な書込みありがとうございました。
昨日は、ジュピターさんの言葉を私の日常の中から感じることができました。

これはエハン氏のセミナーに参加して私が感じたものも含まれます。
(私はこういう類のセミナーに初めて参加しました)

『あるがままに』とは『瞬間瞬間の執着を手放す』ことですね。
想いも過去に残さない…そのためには最高の選択をする事であり、今の一瞬を大切にする事であり、その連鎖がポジでプラスな創造へのスパイラルなのかな…と感じています。

ところで皆さんは『延命措置』に対してどうお考えでしょうか?
セミナーに参加してフッと頭をよぎりました。
私は4年前、この決断を迫られました。父の亡くなる3ヶ月前です。
私は延命措置はお断りしました。現世で苦しむだけ苦しんだ父を、早く解放したかった。
もし、それでも父が生きたいと言ったなら違う選択をしたかもしれませんが、父も早く開放されたがっているのを感じたので…。
この例えは、色んな物に当てはめられると思います。

今在るものはいずれ無くなる。思いも、物質も、困ったと思うような現象も。
『ずっと在る』という幻想が執着を生むのだろう。
『いずれ無に還る』という現実を直視すれば『在りのまま』を受け入れられる。

『在る』ものが『無に還る』事を前提とし、その中間に存在する全ての事を『無意味』と捉えるかどうかは私の問題だ。

逆に『無』から『在る』に転換したときに、私はどう捉えるのか。

子供が産まれて『この子もいづれ死ぬんだわ』と悲嘆する親はいないだろう。
いづれ死んでしまうのだから、何をしても無意味だと思う親はいないだろう。
新しい生命を祝福し、これから起こるであろう様々な困難も、喜びも、共に歩みたい!!
と切に願うだろう。

極論を言えば、全ては無意味だ。
でも無意味なものにしてしまうのか、祝福と捉えるのかは個人の選択だ。
そこに『愛』があれば、無意味にはならないだろう。

愛とはまさに光なんだね…
 

神対のエデュケーションとは

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年 9月22日(火)03時43分55秒 125-14-110-197.rev.home.ne.jp
   魂は全てであるともいえるので全ての記憶が詰まっています。肉体レベルで経験したこと以外にも経験できたかもしれない全ての可能性も記憶としてあります。未来においても経験できること経験できないことの全てが記憶としてあります。現在においても並行する時間の流れ、交差して離れている時間の流れの全ての現実を記憶として保持しています。

 『魂の記憶は無限です。時間と空間の制約を受けません。』

      一方で

 『身体(知覚正面や肉体そして心体など)は有限なので魂の記憶全てを受け入れるわけにはいきません。』


 ですから身体レベルでは選択つまりプロセスを体験することになります。


 本を読んで啓発を受けるのはすでにその情報が自分の内側に存在しているからです。魂は全ての情報(記憶)を保持しているので理論的には全ての事柄から啓発を受けることが可能です。

 しかし現実には身体が魂から選び取った有限の情報に共鳴する形で外部の事象に啓発を受けるといえます。


 具体的に目標などを設定したりして特定の問題や事象に意識的な関与を行うと、身体は魂から必要な体験や情報を選び出します。そして外部にその情報や体験と共鳴する出来事(本や人との出会いなど)の情報にふれると「わかった!!!」という状態が生まれるわけです。


 人によっては同じ本を読んでも書かれた内容に気付かないケースがよくあります。これは身体が内側に用意している魂の記憶の選択の違いによるものです。
 また同じ人でも意識レベルや状態は常に変化するので同じ情報(体験)を経験しても気付かなかったりします。


 では本は必要ないのかというと必要はないが今の自分を知るために便利なツールの一つであるといえます。


 次のような訓練をすると外部世界の体験全てを有益な本に変えることができます。

本だけでなく全ての出来事と触れたときに共振・共鳴した感覚を静かに観察します。静かに観察して内側にある情報を見つけ出します。自分が体験の源であることを実感し記憶で何回も再現できるまで繰り返します。
男性は感情的思考や論理的思考を使うのが有効のようです。女性は感覚やイメージを使うのが効果的です。個性によって違うので自分で試してより機能的な選択をしてみてください。
ワンダフルルームでクロコダイルさんが引用を上手く使いながら質問に答えるプロセスを参考にするといいかもしれません。


私は基本的に本の内容を全て読みません。しかし読む場合は目次とその構成を見た後で、編集者と著者の意識構造や信念体系を観てそれからパラパラっと中を読む感じです。(そうすることで自分が内側に用意している情報以外も認識できるので便利です。自分を創造する上では必要のないことなので皆さんにはおすすめしません。余裕のある場合だけ遊びでやってみてください。)
ちなみに小説には使えません。というより使うと面白くないので、私はこの方法を小説には適用しません。あと人生を冒険として楽しみたいときもこの方法を人生に適用しません。リアルな答えが先に存在してしまうと冒険のスリルがなくなってしまうので・・・。
 

良太さんへ  

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年 9月22日(火)03時40分2秒 125-14-110-197.rev.home.ne.jp
   注:良太さんはアル中ではありませんが便宜上アル中ということで話をすすめています。(良太さん!ゴメン!!!)


>僕だけが体験できる僕だけの現実なんすから。

良太さん、そこが良太さんが存在しているポイントですよ。体験・現実が認識できるということは良太さんは体験・現実の観察者(創造者)であって体験そのものではありません。

『相対的な領域では観察の対象(他者)と観察場(自己のいる位置)と空間は別の要素としてあらわれます。』


例えばアル中だと認識できるのなら意識はアル中という事象とは一体化しておらず、観察者である自己とアル中という現象は別の要素です。

また否定性を認識し否定性に執着していなければ否定性を単なるツール・道具としてコントロールできます。


否定性を拡大した意識で観察すれば相対的に肯定性が同じ宇宙に存在していることを認識できます。

この時自己は明らかに否定・肯定の二元性を観察する超越者です
しかし肯定的な事柄だけにとらわれている場合や否定的な事柄だけにとらわれている場合は意識が観察の対象(肯定か否定のどちらか)と一体化してしまっているので経験が限定されてしまいます。


例えばアル中であるという事象(観察の対象)にとらわれて意識がアル中と一体化している場合、アル中という現実を変えるには多大な努力を要します。

『椅子に座ったままで椅子を動かすのは難しいですが、椅子から離れれば椅子を楽に動かせます。』


アル中という事象を拡大した時間意識で観察してみてください。子供のころはアルコールを必要としなかったという事実があります。また未来においてはお酒を必要としなくなった良太さんという可能性が存在しています。未来はまだ不確定ですからあらゆる可能性が潜んでいます。

拡大した時間意識で観察すればアル中であるという事象は一時的な体験であり変化し続ける人生の一部に過ぎないことがわかります。


時間は4次元、肉体は3次元です。もし時間を線ととらえれば肉体は点であらわせます。
時間の流れ(線)の中で観れば肉体の状態はプロセスの一点・通過点に過ぎません。


『自己とは時間と肉体の観察者です。』



また視聴覚意識(知覚正面⇔肉体)の側面からアル中を観察して観ましょう。
そもそもアル中の定義とは何でしょうか?どこからどこまでがアル中といえるのでしょうか?権威者(医者などの専門家)の定義と良太さん自身の実感する定義にはズレた部分があるはずです。
また時間意識から観察すれば「いつから依存症になったか?」を特定することは困難なはずです。


アル中であるか、アル中でないかという二元性にとらわれてしまうと真実を観察することが困難になってしまいます。



宇宙には肯定・否定という両極(方向性)の間に様々な比率の中間種(多様性)が存在しています。
多様性は個性ともいわれるもので、この生命の多様性を無視して現実に対する機能的な答え(真理)を見出すことは困難です。




外部の権威者達の体験に過度な憧れを抱いてしまうと自己の神秘体験を過少評価してしまい神秘体験の連続性を中断してしまう恐れがあります。


>『あなたである。』
>がはは。
>くだらないけど行き着くところはそこだね。
>で、『あなた』って?
>もとい『わたし』って?
>って何?

>僕だけが体験できる僕だけの現実なんすから。


これらは良太さんが体験している神秘体験ですよ。神秘体験の基準を派手な演出の光の体験だけでなく日常的な小さな気付きも含めるようなものにしてみてください。

『神の祝福が普遍的なものであるのなら、普通の日常的な光は神の祝福そのものです。』


人生が上手くいってない人ほど一発逆転のギャンブルに期待してしまいます。

外部世界にアセンションを期待している人、荘厳な光の神秘体験や特別な啓示を求めている人・・・。

これらの人々は神の普遍的な祝福を見逃してしまいます。


>僕だけが体験できる僕だけの現実なんすから。

この視点(位置)は良太さんが真の創造者(観察者)として存在する絶対的な場所です。何者もその神聖なポジションを侵すことができない絶対的な領域です。今は実感がともなわないかもしれませんが、幻想からの段階的な解放を体験するたびに私がいうことがわかり、信じる必要性から解放されるでしょう。


あとこれは単なる誘いというか呼びかけです。イエスやゴータマの体験はもう昔のことだから彼らを踏み石にして良太さん自身のオリジナルの体験をしてみたらどうですか?

彼らにしてみても自分達をつまづきの石とされるよりも踏み石にしてより先へ行って欲しいという願いがあるみたいですよ。

イエスの「あなたがたはこれよりもより大きな行いをするだろう。」という言葉成就させるか、それとも成就させずにイエスを嘘つきにするか。


あと、より大きな行いとは必ずしも他者を圧倒するような奇跡を指すわけではないです。
そういう奇跡は無能な専制君主を神のモデルとする幻想のもとで人生が上手くいっていない人達が持つ期待です。


本当に絶対的な領域での自己を思い出してしまうと他者に自己の力を顕示する必要性がなくなってしまいます。
奇跡を起こす力はあっても他者の人生のゲームバランスを崩してしまう可能性(依存など)があるので他者を支配してしまうようなカタチで圧倒的な力を示したりはしません。

今も昔もそして未来においても静かに真理に到達し、人知れずに創造者として生きている存在たちが多くいます。


>僕だけが体験できる僕だけの現実なんすから。

誰もが経験している当たり前のような認識が生まれているところこそが神の普遍的な創造性の源(祝福)が存在している場所です。


※以前良太さんへ的確に答えられたのは良江さんが的確な情報を教えてくれていたからです。具体的な情報ではなかったので良太さんの意識状態から推測するしかなかったのですが、それでも良江さんが鏡となって良太さんの姿を映していたことは確かです。二人の意見がぶつかるのは真理へのアプローチが逆の方向に向いているだけの話で、どちらかが間違っているわけではありません。
方向が違えば信念体系も当然異なり価値基準も異なります。そういう意味でエネルギー(思考や感情)がぶつかりあい心体レベルでの衝突が頻繁に起きたことと思います。

これらを認識した上でお互いの宇宙をシェアすると体験の手間が将来省けますよ。
魂(真我)は時間と空間という幻想を超越しているので無限の働きができます。
しかし相対的な領域に創られた自我(セルフイメージ)は時間と空間の制約を受けるので有限の働き・経験しかできません。

『他者への理解・共感が体験を省略(カルマの解消)する手段として有効です。そうすることで限られた人生を有効に使え自分の体験したい現実に専念できます。』

否定性と肯定性という二元性を超越した人生を創造する自己を生きるのは実は簡単だったりする!ということで。
 

(無題)

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月21日(月)23時40分15秒 softbank221052068188.bbtec.net
  エハン・デラヴィ氏の映画&トークショーに行って来ました。

今日は気分にまかせて行ったので、大分遅刻してしまいましたが、ちゃんと上映とトークショーの5分前に行けました。

しかし、またまた何となく帰ろうとして電車を2本も乗り間違えてしまった。
無事に帰ってこれましたが、3時間もかかってしまった。(通常の倍)
まぁ、お陰様で(?)本を1冊読めましたが。

YKさん。(←まだちょっと違和感ある)
先日は活字あたりのせいか、この掲示板に対し否定的になってしまったことをお詫び申し上げます。

改めて言うならば、やっぱりココはおもしろい!!
一般向けじゃないところもいいし、個性派の面々が自由に語り合っているので一方方向に向いていないのもいいし(いや、根っこは同じだけどね)。
この場を、この時間を共有していることが素晴らしくて、こうして参加できることに感謝しています。

これからもよろしくお願いします。

ちなみに今日読み終えた本は『5次元入門 アセンション&アースチェンジ 著:浅川嘉富』です。読んでいる最中、ここにいる皆さんは宇宙人だと、一瞬本気で考えた。今もちょっと思ってる。

今日の印象深い出来事は、乗換えでホームで次の電車を待っているとき、ふと前を見たら反対側のホームの人がこちらを見ていた。私も何となく気になって目を逸らさずにずっとみていたが相手も逸らす様子がない。しばらくして電車が2方向同時に入ってきた。ドラマのワンシーンのようだった。不思議なのは私たち以外は全て動いているのに、私達だけ停止していたこと。よくそんな写真があったりするが、まさにそんな感じだった。

YKさんもあるがままにを体験中ですね。
私もあるがままにの奥深さ、そしてそれしかないという真理を体験中です。

ジュピターさん
今日は、朝に雄のキジを見ました。
雄のキジも見る角度によって羽の色が変化しますね。カラスも変化しますよ。
カラスは私に向かって、よく話しかけます。私は何を言っているのかわからないけど、何となく感情はわかります。大体は怒ってます。でもたまにおねだりしたり甘えたりがかわいいなぁって感じです。カラスも思ったより大きくて羽音がすごいです。カラスだけはあまり鳥というイメージがないですね。私には。
 

祝福の歌

 投稿者:YK  投稿日:2009年 9月21日(月)19時11分5秒 eatkyo307254.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
   皆さん、お久しぶりです。
蓮花さん、2007年後期まで読んで下さったとは!!
私もそういう時期がありましたけど、視力にも影響するので目をいたわることもお忘れなく。
そして、私へのねぎらいの言葉、ありがとうございました。^^

 おかあさんをやめてYKにします。よろしくお願いします。


 コクーンという歌手の歌に「祝福の歌」というのがあります。
 原作はニューヨーク州立大学病院に残された詩とのこと。
(アメリカの南北戦争に従軍した南軍のある無名兵士が記したものといわれている
「悩める人々への銘」がニューヨーク大学の壁に掲げられているという説もあります。
 残されているのは大学病院なのか大学なのか?この歌と掲げられている詩は、訳が
 少し違うところもありますがほぼ一緒)

   「祝福の歌」

 強くなりたくて力を求めたのに
 優しくなれるように 弱さを授かった

 幸せになろうとして 富を求めたのに
 賢くなるようにと 貧困を授かった

  求めたものは ひとつとしてこの手に入らなかったけど
  心の奥の 本当の願いに 目を覚ました

 みんなにほめられたくて 成功を求めたのに
 悲しみがわかるように 失敗を授かった

 人生を楽しようと あれこれ求めたのに
 すべてを喜ぶように 心を授かった

  言葉にならない思いの中で 確かに感じられたこと
  私はあらゆる人の中で 祝福されていた

  求めたものは ひとつとしてこの手に入らなかったけど
  心の願いに気づいたとき 祝福されていた

  言葉にならない思いの中で 確かに感じられたこと
  私はあらゆる人の中で 祝福されていた


 光と闇とかポジティブとネガティブといった二元性の中庸というのは
こんな心境なのかなあって思います。ともに魂の学びの重要な相対的な要因。
良太さんのおっしゃりたいこともそんなところになるのかなって感じています。

 それぞれの魂の学びに必要なことを経験しているだけであって、そこに善悪は
存在しないんでしょうね。。。今までよりはちょっぴり素直にありのままに
自分や周りを見られるようになったような。。。
 

 

 投稿者:   投稿日:2009年 9月20日(日)14時06分8秒 211-127-157-37.customer.soloot.jp
                 在る・我・侭に

世の中には、様々な記憶媒体がある。
まず、今使っているパソコンもそうだし、本や新聞、テレビなどがある。そして魂だ。
それを目にする時、それらはすでに過去であり、ゆうなれば脱皮した皮とでも言うか、
そこに生命感は感じられない。それは見ているのは今であっても、今では無いからだ。
単に言葉や画像が在るだけだ。普段話している言葉でもあっても、それは何かしらの
形というものがある。他の生命形態と同じく、振動というものだ。見えざる形なのだ。
それが無ければ、音というのは感知できない。それより精妙な形は、思うことだろう。
その思いというのは、次元間のおいて様々な波長形式があると思われる。低いものは
より電気質な感じだし、高ければより光として感じられる。光はもっとも軽い物質だ。
この物質界は電気が光を生み出すが、霊的な世界では光が電気を生み、引き合うのだ。
電気というのは電磁波を発している。それが強力であればあるほど強い磁場を形成す。
交流型エネルギーだ。極性を打ち消すには、光である。光というのは純粋直流思考だ。
原子というのはバッテリーのようなもので、それ自体は光や電気を溜める容器である。
これもまた生命の中の生命、生命の根本は自由であるから、原子も同じく自由である。
空気中にも存在し、時にその発光を目にすることもある。そして伝導する役目もある。
そして物質・電気・光というのは、思考である。全ては何かしらの考えの表現なのだ。
それが無であっても、それは無という考え方の表現であり、それゆえ有も存在し得る。
これらのエネルギーはどこから来るのか。それはそれぞれの内側から発せられている。
今こうして書いて現れている言葉であるが、これはおいらの脱皮した考えなのである。
考えは考えとしてあるだけだ。それは花が花であるように、全ては川の流れのように
あるだけだ。山から川へ、川から海へ。その全ては同時にあるように、言葉も同じだ。
ただ、どこから見ているかで違うだけのことなのだ。生命は感じられないもの言葉は
音命がある。その命を命とするのは、その人次第だ。あるものは単に流れ去るだけで、
ある者は自分の命として、それを受け継ぎ降り注ぐ。それは何かを感じたからである。

と、つらつらと適当に書いてみた。おいら自体の、見ている場があるから、
元は光である思考とは違っているかもだから、この文は適当に流してちょ。
今は町中の川もだいぶ綺麗になったよな。川が綺麗ならば、海も綺麗だね。
全ては無意味と考えたが、存在する、それだけで大いなる意味があるのだ。


                レイテル
 

ハッピーエンド

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月19日(土)23時27分27秒 softbank221052068188.bbtec.net
  別に読みたくて読んだわけじゃないよ^^;

私、基本的にメンドクサイの嫌いだし。そんなにマメじゃない。
興味のあるコトはガツガツしてるけど。

誰かの想念に導かれて戻ってしまったのでしょう。
わかっているとは思うけど、きっかけはジュピターさんですよ!!

たぶん、ちょっと責任感じてフォローしてくれてるんだね。

優しいね。

今、ジュピターさんから感じるのは“童心&…”。
小・中学生だった頃の自分をよく思い出す。
たぶん、ジュピターさんにとって“故郷のような空間”なのだろう。
いや、私かな?

昨日のことは、もう大丈夫。
夢を見ていただけだと、脳に指令を出しておいた。
だから、今の自分は今日の自分。
我ながら、切り替えが上手くなったものだ。
ん〜、それだけじゃないけど…あえて言わない。
ただ、色んなモノは感じてる。ありがとう。

先週、少し髪を切り黒髪に戻してみた。
私が髪を切るたびに、友達は私に気付かない。
今日逢ったバレーのチームメイトも私がわからなかったらしい。
全然違う雰囲気になってしまうらしい。不思議でしょうがない。
長年つきあってて、何故、毎回毎回わからなくなってしまうんだ。
でも、何人にも言われるということは、確かに違って見えるのだろう。

別人に見えるという事は、つまり違う自分を創造し表現できているということなのか?
すなわち、私は月に一回、生まれ変わっているのかもしれない…って思った。
これはおもしろい!!これはプラスにもっていこう。
月替わりのメニュー表が必要だ。もう楽しんじゃえ!!

ちなみに、今の髪型が私の雰囲気に似合っているとは思わなかったらしい。
私は『宝塚の男役風』みたいな感じに意識していたのだが、彼女達いわく、『なんなら金髪のオールバックにしてYOSHIKI風にした方が似合う』とおっしゃる。
どうしてもホスト系にしたいらしい。だから、私女性なんですケド…。
フツーの主婦にそれは無理だろってツッコミつつ『それもありかも…』なんて思った。

まぁ、こんな感じで楽しく過ごせました。とさ。メデタシ、メデタシ。

そうそう、ばけらった…ね。大丈夫、今回は振り切った。
 

 

 投稿者:   投稿日:2009年 9月19日(土)12時56分8秒 211-127-156-218.customer.soloot.jp
          在る・我・侭に

まあ、まだ四次元イリュージョンに入り込んでいるなら、
自分なり呼吸を整えるなど、愛のチャンネルに合わせる。
自分に焦点を合わせ、今という時を感じる。今しかない。
まっ、花でも何でも、自分が美しいと感じるものを見て。
なんなら鏡で自分と対し、にらめっこするもイイかもさ。

  じゅぴたー・レイテル・セイヤ・ばけらった
 

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