投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

全1000件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  |  《前のページ |  次のページ》 

ジュピターさん…

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月17日(木)21時04分50秒 softbank221052068188.bbtec.net
  ジュピターさんのシンクロの書込みを『以前も見たな、いつ頃だっけ…』ってな感じで探し回って3時間・・・・・・・・・・・・!!!!

ワンダフルシェアも探したけど見つからなかった。
消しました??

ちなみに私が使ったシンクロは、私の抑揚とジュピターさんの抑揚のリズム(周期)が似ているなぁと感じただけです。感性もね!

お陰様で(!?)2008/4/5まで遡りました。

改めて、おかあさん、お疲れ様です。

良太さんのHPがあるのを知りましたので、そちらも覗きに行ってきます。
 

 

 投稿者:   投稿日:2009年 9月17日(木)10時28分22秒 211-127-156-201.customer.soloot.jp
            在る・我・侭に

独り言というか、いきなりカキコ。

まあ、過去帰りしたことで、さっそく、周りもぶり返した(笑。
あるがままに流し、新たに意図し、打ち消してきた出来事。
愛せない出来事も、ただ流すという行為は愛と同じことさ。
まっ、これも何かしらまだ必要があって起きたことだろう
とにかく、内なる意識だ、何とひとつになるかを意図する。
焦点するということは、もうすでにひとつへの動きだから。

            ジュピター・レイテル・セイヤ
 

自然と人工物

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年 9月17日(木)00時12分53秒 61-21-203-195.rev.home.ne.jp
  自然に境目はありませんが人工物(物だけでなく社会的な制度なども含む。)には明確な境界があるようです。

山や川そして海などを分けているのは人間の記号(言語)活動です。山や川に明確な境界線は存在しません。

山や川そして銀河などのマクロな自然から分子・原子そして素粒子やエネルギーといった、より精妙なレベルの自然・生命にも明確な境界線は存在しません。

どこからどこまでが自分の原子なのでしょうか?どこからどこまでが自分のエネルギーの流れであると言えるのでしょうか?



『記号(言葉)の定義によって境界線が創造されます。』


 基本的に文明とは言語(記号)活動の多様化と発達によってもたらされます。そうすることで物質を自由に扱え物質文明が発達します。

 一方で他者依存型の文化では特定の権威者が記号(言語以外も含む)を定義するので、その定義からはずれた記号活動は修正されたり制約を受けます。

 本来記号活動の多様化は個性の多様化も促します。しかし特定の権威者によって特定の方向にしか進むことのできない文化では個性が修正され一元化の力で均一になっていきます。


  『高度な精神文明では自己を自由に定義できるので言語(記号)的束縛感のない文明が発達します。』


 今、地球上で人間は高度な物質文明を発達させています。一方でナガス鯨種やアフリカ象種のように高度な精神文明を発達させた生命体が存在します。

 UFOのような空間(環境)に負荷を与えるタイプの乗り物を移動手段とする物質文明を極度に発達させた宇宙人達は主に人間に接触をはかってきています。
 逆に、環境(空間)と調和した高度な精神文明を発達させた宇宙人たちは、肉体や心体などの身体を自分の惑星領域にとどめたまま、意識レベルでの交流を主にナガス鯨族やアフリカゾウ族と行なっています。


 この状況は以前レムリア(ムー)とアトランティスという文明が同時に地球に存在していたときとそっくりです。

 アトランティスでは水晶の振動性をエネルギー変換して空間から膨大なエネルギーを取り出して物質文明(物に関する科学)の栄華を極め地球を汚染し、他の生命形態を絶滅に追いやりました。

 レムリアでは自己(生命)に関する科学が発達していたので精神文明と物質文明の二元性を超克して、観察の対象(物・人・社会)と観察場(観察者の位置=知覚正面・肉体・心体・・など)そして空間の三位を理解した上で、自然・生命と調和する進化を遂げました。



 人間が作り出した建物やお金そして思想活動や社会制度に意識(エネルギー)を費やすと個性(この場合は“違い”や“異なる点”)が対立と分断の原因となる傾向が生まれがちです。

 神が創造した自然などの生命そのものに意識を交流させると個性の違い(役割や関係性)を認めた上で全ての生命に共通する本質(ダルマ)を認識することが容易(自然)にできやすくなります。


 都会にいても空をみたり大地を認識できますし、大自然の田舎暮らしでも地域社会の風習(社会制度)や建物などの人工物を認識することができます。



 『何を選択するかは全くの自由です。』


私も都会から離れて別荘でのんびりする時に、たまに余計な仕事や人間関係をせっかくの田舎暮らしに持ち込んでしまうことがあります。そして自分らしくない自分にハッと気付くこともあります。そういうときは人間らしいこの次元の人生にかわいらしさと愛しさを感じます。
余計な人間関係や仕事があるという認識は意識レベルの低さをあらわしていますから自分らしくないわけです。
自己を定義することで関係性を創造しているのですから“余計”な人間関係も仕事も自分の認識が生み出していることに気付けます。


西洋的な発想では自然は克服しなければならない文明の対立要素と認識されます。(対立から明確な境界と定義つまり分離が生まれる。)

東洋的な発想では人間は自然の一部ですから自然と文明は調和して当然です。(調和から関係性に基づく一体感を生み出しやすい。あいまいで流動的な境界線と定義が生まれるのも特徴。)

言い古された東西文明の二元性ですが西洋化された日本の文化そして日本人の意識構造を見直すと自己の意図的な再創造に役立てることができます。
 

良太さんへ 

 投稿者:アセンションマスター  投稿日:2009年 9月17日(木)00時08分24秒 61-21-203-195.rev.home.ne.jp
   良太さん、悟りのサイボーグ(無感情)化が極端にすすんでいますね。レイテルさんも以前チョコッと書いていたけど、極端から極端への移行は人間性を超越的な方向に進化させる原因にもなるので悪いことではないでしょう。

 でも、以前の書き込みをしていた良太さんはこの世の人達に優しさと共感をもっと表現していたように感じます。


 良太さんの悟り方だと生きてる間は真実の愛や感謝は存在しなくなってしまう!!


 『愛はそもそも無条件なものです。生きている間、死んだ後などの条件によって左右されるものではありません。ある条件下でのみ執行されるのは契約であり、もしある条件下でのみ愛が行なわれるならそれはビジネス・取引です。』


 もし、良太さんの悟り方で自己イメージを潜在意識下に刷り込んでしまうと、現世では愛や感謝を経験したり表現したりできない自分を再生産し続けてしまいますよ。

 そうすれば本来愛すべき身近な家族や友人との関係が崩壊していってしまうでしょう。

まっ、観念上で虚無的な悟りをもてあそんでみるだけなら宇宙の二元性を深く理解できますので有益かもしれませんね。


 でも、もし本気でそう悟ってしまっているのなら酒や麻薬などの陶酔物(タバコやカフェイン系なども服務)を断った状態で感情と真正面から向き合って解放をしてみたほうがいいですよ。

 酒や麻薬は常習すると大脳を萎縮させてしまい感情の起伏が激しくなり、コントロールが難しくなってしまいます。
 タバコやカフェイン類は神経の感度を自然な状態から不安定な状態にしてしまい自然な感受性を阻害します。

 陶酔物を常習していると事実に基づいて考えることが難しくなり観念的になりがちです。その結果、被害妄想などの脅迫観念に悩まされてしまうでしょう。


 お釈迦さんは全てを否定してもなお存在する真理に到達しました。しかしあまりにも否定性を多用したために健康を害してしまい横の状態でいることが多かった。中庸でいることの反省後は次第に健康を取り戻しましたが否定性を克服するまでにはいたらず、『涅槃(ニルヴァーナ、梵語で悟り)はあっても死ぬまで大涅槃(マハーニルヴァーナ、マハーは偉大を意味する)はない!』と限定的な教えを弟子達に伝えたとされています。(事実はこれらと異なる。)

 ナザレのイエスは光の教団(エッセネ派、修行重視の共同体)の習慣に従い荒れ野で長い断食を行ないました。彼は途中で修行の達成感から他者への優越という悪魔の誘惑に会いました。実はこれがきっかけで過度の修行は精神のバランスを崩すことを知り、お釈迦さんと同じく中庸なバランスのとれた存在の仕方を心がけるようになりました。

 聖者達は歴史上その信奉者たちによって神聖化され伝説となり、信奉者達によって人間性は無視されがちです。
 ですから聖者たちが地上に姿ある形(普通の生命形態)で現れても信奉者達は否定し迫害します。
 真の聖者、神たちにとって普通の生命形態はなんの阻害にもなりません。特殊な生命形態に“頼る”なんて無能な証拠です。


 『神はそこらに落ちている石や小枝になっても自己の創造性は失わないし何の問題もありません。』


普通の生命全てが神である可能性を考慮してみてください。特に身近な家族や友人達に。

『神は存在する全ての生命である。』神との対話によく現れるこのメッセージをよく感じ取ってみてください。


良太さん、現実と向き合わない悟り方は自己(周囲との関係性を含む)の崩壊を招きますよ。
嫌な現実から逃れるためにお酒を飲むのではなく、同窓会などの仲間や家族の祝いの席でたまに飲む程度にしたほうが健全です。
子供のときはお酒なんて必要なかったという事実を思い出してみてください。
 

 

 投稿者:   投稿日:2009年 9月16日(水)23時48分33秒 211-127-156-101.customer.soloot.jp
           在る・我・侭に


☆蓮花

>それから逃れようとすると、いつまでも追いかけてくる。

まさにね、うんざりした。

>『もういい!!わかった!!どうにでもしてくれ!!!』と開き直ると忽然と姿を消すものだ。

あははっ…それもやってるよ。今日もね。その後、ぶり返す。
本とかで読んだものは駄目さ。それはやっぱりおいらでない。
それにこのような体験を読んだのも、影響しているといえる。
といってもおいらが読んだのは、書いた人達は真面目だけど。
処分したがかれこれ読んだ本は、数百冊に及ぶ。まだ記憶が。
自己否定に走ってからは、まるでシャブ中毒者のようだった。
ああっ、彼らが見ているものは、このような世界かと思った。
まともな感情では見ていられない。この時からクールだよな。
アホくさ、こうやって書くのも、創造するかと思うと恐れが。
今も見えるのは黒いシャドウだ。まあある意味では気違いさ。
一時期、どうせなら狂ってしまえばいいのにと思ったものさ。
その前は違う意味において気違いだったかもだが。あははっ。

≪ピンポンパンポン…良い子達は、決して真似しないように≫

今は出てくるものを流すようにしてる。瞑想するかのように。
考えというのは単に選択肢に過ぎない。ただそれだけのこと。

>シンクロ

これはもうとっくの昔から、日常的なことさ。ある意味単なる直感か。
今という時に、いるよう心掛けている。でないと、ぼー直感シンクロ。
今じゃ、シンクロしない時の方が、ああっ、良かったと思ったりだな。

ポスターとかで女優さん見て、ちょっとかわいいとか思っちゃうとだ、
下手すると、その女優さんの撮影に導かれる。それも日を変え二度も。
声は「一ヶ月前から準備してたのに」と。何の準備と訊いてもシカト。
それからさらに考えるということに変に慎重になっちゃったりしたよ(苦笑。
まあ、そんな創造というかシンクロというのは、書ききれないほどさ。

まあ要は、楽しいことだけを考えてればイイだけのことなんだけどね。
でもそれでも何かわからぬ、うねりのようなものが突き上げて来るよ。
まあ、第一チャクラを抜くようにすると、それもすっきりするけどね。
調べりゃ、クンダリーニ症候群に似ているが、考えないようにしてる。
一般の人が医学書見て症状創っちゃうのと、同じようになりそうだし(笑。

                 ジュピター・レイテル・セイヤ
 

ジュピターさんへ

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月16日(水)11時14分0秒 softbank221052068188.bbtec.net
  今はその言葉が良く理解できる。

それから逃れようとすると、いつまでも追いかけてくる。

『もういい!!わかった!!どうにでもしてくれ!!!』と開き直ると忽然と姿を消すものだ。

不安も恐怖も執着も無くなった後に、何故そんなに意識していたのかわからないときがある。しかしその時は感情が湧き上がってきてしまって、とても冷静にいられない。

でも大体は、形を変えて同じ性質のものが出て来ているだけのコト。
しかもその時の一番苦手なものに化けてくる。

シンクロ     〜私はあなたの体験を否定しない〜
 

 

 投稿者:   投稿日:2009年 9月16日(水)09時36分37秒 211-127-156-240.customer.soloot.jp
                  在る・我・侭に

自己レス

>まっ、おいらの目には見えるのは見えるし、体的な症状とかあったりするが。

ああっ、ここで自分を否定してしまった。また、体のあちこちが痛み出したし、
見え出した。肯定する・否定するも、する…自分がやっていることなんだよな。
見えたついでに言うと、エネルギーが滞った時(執着やら何やら)、何かしら
形として現れる。その自分にとって嫌いだと思っているものを否定したとする。
すると、そのエネルギーは自分に入り込んでくる。それを肯定し認めたからだ。

例えば町で何か探し物をしてるとする。すると、他のものは自然とスルーする。
それは自分が何を探しているか知っているからであり、それと単に違うからだ。

ふぅー、という風に自分を認めたことにより、どやらエネルギーが流れ出した。
体の痛み・心の痛みというのは、何かしら抵抗に過ぎない。流せば流れて行く。

見えたついで言うと、暗くなってからシラサギ集団を見た。彼らの頭の部分は、
微かに光り輝いている。その色だが微妙に変化し、クリスマスネオンのようで
綺麗だ。まあこれは、一昨年辺りから見て楽しんでいるけど、今年は初めてだ。

                     ジュピター・レイテル・セイヤ
 

静と動

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月16日(水)04時41分30秒 softbank221052068188.bbtec.net
  静があって動がある。

>玄関に紫色の花と黄色の花をいっしょに生けてる。

私も紫色の花と黄色の花を良く生けてます。
この二つは反対色だけどお互いを引き立たせてくれます。

それぞれのシチュエーションを楽しもう。うんうん。
 

今日は感覚の日☆

 投稿者:蓮花  投稿日:2009年 9月15日(火)12時41分2秒 softbank221052068188.bbtec.net
  自然の中にいる時の感覚は“受容”。
たとえ視界の中に私しかいなくても独りぽっちじゃない。
呼吸数もテンポも自然界と一体になっている感じがする。

自然界の中にいる私も、社会の中にいる私も、同じ私だ。

なのに、まるで別人のようだ。

この二つの世界を何故分けてしまうのだろう。
この二つは繋がっているものなのに。

今日は草むらに寝転がって雲を追いかけていた時の心拍数、呼吸、自己の開放を意識しながら生活してみよう。
 

在る・我・侭に

 投稿者:ジュピター・レイテル・セイヤ  投稿日:2009年 9月14日(月)22時43分9秒 211-127-157-43.customer.soloot.jp
  昨日はシラサギ達、まったりのんびりしてた。これがまたイイ。

今朝も川では魚達が泳いでいる。今日は流れがゆったりしてたので、魚達も
のんびりと丸くなったり、集団でいろんな形を織り成している。でも、一匹
一匹は個性的に思える。違いというのは、単に個性が織り成す景色のようだ。
土手沿いに、小さな白いつる性の植物達が咲いている。妖精のラッパのよう。
ヒマラヤスギに咲く大きなまつぼっくりも、淡い黄緑から茶へ流れつつある。
夏に咲き誇った朝顔も今はゆったりし、(おおっ、今上空アオサギが鳴いた)。
新たに別の花が咲き出している。彼岸花もそのひとつだ。白や赤く咲いてる。
その傍らには、植物達が淡い光を浴び輝き、まるで妖精達の遊び場のようだ。
すたすた歩けば家からものの5分ほどの距離の中にも、神秘は存在している。
まっ、花が咲いてるのは、誰かの家の庭だったりするが、自然は自然なのさ。
てか、黄色い彼岸花もあるんだな。お初見だ。帰り道に川沿いからシラサギ
アオサギ・カルガモを見たが、みな何だかのんびりしてて、ほのぼのしてた。
てか、女装してる男性を見たが、何だか楽しそうだったな。それはそれで光
輝いてた。彼は彼なりに人生を謳歌してるようだ。それもまたひとつの詩だ。

てか、エネルギーが見えるとか書いてるけど、結構創っちゃってるのがある。
まっ、おいらの目には見えるのは見えるし、体的な症状とかあったりするが。
まあそれも単に創っちゃっただけのことなんだよな。本とか、読み過ぎたし(笑。
数年前から、それら設定を外しつつあるんだけどね。全ては幻想で本物だよ。
まっ、楽しめるものならイイけどね。おいらは霊体離脱やらはしたいと思ふ。


☆蓮花

へぇー、赤い星が見えたんだ。良かったじゃん♪
木にとまってるんだ。昭和初期の人が語った物語に、そういうのがあって
イーなと思ってた。おいらが前に見たのは、夜空にアオサギがやわらかに
飛び、おっきなヒマラヤスギの天辺に止まったんだ。月の日を浴びながら。
ああっ、まさにおいら好みの詩だと思ったよ。それはそれは美しかったな。
へぇー、トンビがいるんだ。んじゃ、海の傍なのかな。ぴーひょろろろだ。
おいらは陸の方なので、ツミ・ハヤブサ・チョウゲンボウらしきはいるよ。
ああっ! そっか、かなり前に、海の近くの林でシラサギ集団を見たんだ。
鵜は面白い。何か面白い。いつも何だかとぼけた様子が愛らしいんだよな。

ススキの穂の美しさは知ってるよ。おいらが住んでる所にも結構あるんだ。
ちょっと場所をもらって、穂の間で寝たことがある。空とススキが綺麗さ(夜も。
てか、ススキ取ってきて、玄関に黄色い花と紫の花といっしょに生けてる(いけてるぅー。
んと、図鑑図鑑と…カゼグサっていうのかな、甘酸っぱいイイ匂いがする。
時に這いつくように、草の森を探検気分で見たりする。草もやっぱ綺麗さ。
おいらの家にコオロギを呼ぼうと春に計画し、一部草地にし、やってきた。
 

以上は、新着順81番目から90番目までの記事です。 5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  |  《前のページ |  次のページ》 
/100